エイプリルフールに百歳で死ぬということ
【作者】
奥田轍
【あらすじ・概要】
36の掌編小説集。日常の生活を切り取った話や、不思議なショートショート的な話、コメディー的なオチのあるものなど、バラエティーに富んでいる。
中でも以下の作品は印象に残った。
・絵画教室
老人養護施設などで絵画教室の先生をやめることになった妻。生徒のことを考え真摯に取り組む姿勢と、彼女の思いに癒され励まされ、彼女を支えようとする老人たちの思いが美しい。
「『私は恵まれている。皆さんがとても良い人だったから』と妻は言う。だけど、それはやはり妻の才能だと思う。出会う人皆がいい人であるはずがないし、もし、そう思えるのなら、出会った人のことを、そう受け止めることが出来たからだと思う」というセリフは素晴らしい。
・月明かりと勇気
病院の窓から外を眺める女性に心を奪われる主人公。かつて父から「悪人とは自分勝手な人のことだ」と言われ、相手の気分を害するかもしれないという臆病さを持つ。自分の行為はストーカだと感じ、しばらく病院の近くを避けるが、ある月夜、久々に病院の近くを通った時、病院を抜け出していた彼女と偶然である。月明かりに背中を押され、少しだけ彼女に声をかける。
・自転車を盗んだ
なんだか色々とうまくいかない日、ふと出来心で自転車を盗んでしまう主人公。盗んだ自転車のチェーンが外れ、徹底的についていない自分を呪い、自転車を捨てて帰ろうと思うが、偶然通りかかった女性が必死にチェーンを直してくれる。「自分はまだ戻れる」と感じ、自転車を元の場所に戻し、少しだけ明るい気持ちになる。
・チューリップ
母に対して感謝の意を示していなかった自分。いつか誕生日に何気ない増加を贈ったことをものすごく喜んでくれた。いつかは、ちゃんとしたものを贈ろうと思いつつ、その「いつか」はなかなか来ない。
・テレビばかり見ていた悪人
「共通認識としての善意が崩壊した社会」、「人を信用することを警戒する社会」、「悪事が悪いのではなく、悪事が露見することだけが問題だという人を育ててしまった社会」というテレビの評論を見て受け流す主人公。動物の虐待や器物損壊など、バレなければいいと考える。主人公の元に訪れた女性がネット配信で動物虐待を暴き、ネットで炎上する。ネット嬢の人々は「常に見られていると思え」、「俺はいいことしかしない」という。結局は自律的な良心よりも「誰かの目」が強いのか。
・もんじゃ
誰かに喜んでもらおうとプレゼントを選ぶ人たちの姿、もんじゃ焼きを作りながらかわす友達との何気ない会話が、追い詰められた主人公の心を救う。
・エイプリルフールに百歳で死ぬということ
祖父が百歳で老衰で死んだ。祖父の子供と連れ合いの6人以外は葬式に参加してはいけないと言われる。孫である自分の結婚式には魂のこもった詩吟で感動を与えてくれた。祖母に先立たれたが生きることに執着のある祖父だった。祖父の生き様に思いを馳せる。
・彼女には存在しない時間
甥っ子が恋をした。地方都市に住む彼は彼女を追って東京まで来る様子をネット中継する。東京に着いた彼は彼女に年上の恋人がいることを知り落ち込む。落し物をして困っている女性を、ごく自然に助け、感謝されることで、少しだけ優しい気持ちになり、彼女の幸せを願う言葉でネットの中継を終わらせる。
【感想・考察】
「共通認識としての善意が消えた社会」かもしれないが、「人を信用して受け入れること」、「ほんの少しの勇気を持って踏み出すこと」、「日々を真摯に生きること」で日々は少しずつ明るくなっていくという、人生に対する信頼感があふれる作品。