思うままに夢がかなう 超瞑想法
【作者】
苫米地英人
【あらすじ・概要】
「物理的空間に情報が付随している」という考え方から「情報場の写像として物理的空間が現れる」という考え方に変える。自分の脳を使って情報場を書き換え宇宙を思いのままにする方法として「超瞑想」を提唱する。
「超瞑想」のベースとして「空の思想」をあげる。「空」の解釈は「この世のすべての存在をダイナミックかつ多元的に捉え、それらすべての関係の中心に自分の心があり、自分の心がすべての存在、すべての事象を生み出していると考えること」とする。
「超瞑想法」として、「正しく見る」、「自由自在に見る」、「臨場感を維持する」方法をいくつかのワークとして説明している。
「正しく見る」
自我から離れて物事を正しく見る。愛情や恐怖などの感情から「スコトーマ(死角)」が生まれ、あるがままの姿が見えなくなる。感情から離れて見る訓練をする。
・歩行禅
ゆっくり歩きながら、右足かかとの着地で息を吸う。
右足つま先の着地でもう一度息を吸う。
左足かかとの着地で息を止める。
左足つま先の着地で息を吐く。
・黙って食え瞑想
黙って食べながら、調理した人、調理の道具、コメを育てた人、屠殺された豚の思いなど、無数の「因果」に思いを至らせる。
・写真縁起瞑想
広めに背景を入れ自撮りをする。
背景にあるものと自分の因果を書き込んでいく。目に入っていても意識に上がっていないものを意識することで、無意識の死角スコトーマを外す練習。
・因果関係瞑想
原因と結果を反対にして考えて見る。
例えば、「円があるから中心点が存在している」とも言えるし「中心点が存在しているから等距離を結んで円ができる」とも言える。このように原因と結果を逆転させて考えて見る。
・時間因果関係
「過去の出来ことが原因で今の現実がある」という認識を逆転して見る。
例えば、「学生時代勉強しなかったから、今苦労している」と考えることもできるし「今苦労しているので、学生時代の勉強が足りなかったと感じている」とも言える。
・統合瞑想
因果を逆転して考えると、どちらも原因で結果になりうる。両方を統合する一つ上の段階まで抽象化して考え、共通の関係性を考えていく。
例えば、「ワープロソフトがあったから書類を作ることができた」と言えるし、「書類を作る必要があったからワープロソフトが生まれた」とも言える。統合して考えると「ワープロソフトも書類も情報を扱うための道具」という関係性でくくれる。
「自由自在に見る」
自我から離れ、これまでと違う情報因果を洗濯して世界を見ることができれば、自分や世界のありようを変えることができる。
・自分が生まれて死ぬ瞑想
一本の木が種を落とし、新たな木が生え育っていく。古い木はやがて枯れ朽ちて分解されていく。新しい木は無から生まれたわけではなく、目を出す前の段階でも昨日としては存在していたと言える。一方で古い木が朽ちた後も、ゼロとなったわけではなく新しい木として残っている。
ある時点では「あるとも言えるしないとも言える」状態だが、情報場として見ると物理的存在の有無に関わらず、機能として連続していればあると言える。
同じように自分自身の誕生から死まで思い瞑想する。自分は無から生まれたのか、死んで無に帰るのか。
・三法界瞑想
仏教では、天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の六道や、そこに声聞・縁覚・菩薩・仏 を加えた十法界に自分を投影して自らの意思で撰び取る十法界瞑想がある。これを単純化し「貧乏な自分」、「金持ちの自分」、「仏陀となった自分」を瞑想し、自分の態度を選ぶ。
・オーダー変更瞑想
例えばある店に入った時、そこをカフェと認識すれば勝手に席に着くだろうし、そこをレストランと認識すれば店員が案内するまで待つ。日本に馴染みのない外国人がある店をレストランと認識し、案内されるのを待っていたが、同行した友人が「ここはカフェだから勝手に座っていい」と言えば、勝手に座るだろう。その場をどう認識しているかで行動が変わる。情報が具体的な行動に影響を及ぼす。
誰かと一緒に店に入ったとき「情報のコントロールで相手の注文を変えさせてみる」というワーク。
「臨場感を維持する」
物理空間に大きな影響を与えるには抽象度の高い情報場への働きかけが必要だが、抽象度が高まると臨場感が薄れてしまう。情報場のコントロールのカギは臨場感にある。
・臨場感と五感のリンク瞑想
過去の経験から喜怒哀楽の勘定を思い出し、その感情から体感を引っ張り出す。例えば過去ハワイに行って楽しかったという感情を思い出し、そこから楽しさから導き出された感覚を思い出す。その感覚を強化し、色や音などで表現する。
・般若心経瞑想
般若心経に描かれた情景を元に情報空間に強い臨場感を持たせるトレーニング。
一つ一つの言葉の意味や描かれる世界を瞑想し
複数の言葉のイメージをつなげて統合し
統合を繰り返し抽象度を上げ
統合された一つの世界としてイメージできるまで瞑想する。
【感想・考察】
作者の苫米地氏の経歴を見ると「うさん臭さ」を感じてしまうが、何冊か本を読んでいると一貫した主張があることが分かってくる。
「因果関係を裏返すこと」と「抽象度を上げて統合すること」がキーになっていると思う。「○○を学んできたから××を成し遂げることができた」ということは「××を成し遂げたから、○○が役に立った」ともいえる。統合すると「自分は○○などの点を繋いで××という線を見出した」ともいえる。
ある種の哲学だが容易に説いている。「キリスト教や仏教の経典は抽象度が高く汎用性は高いが、さすがに数千年を経過して事例に臨場感を感じられない」という言葉からは宗教的な見方も伺える。
なかなか面白い。