毎日一冊! Kennie の読書日記

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バビロン2 ―死―

あらすじ・概要】

 前作 バビロン1−女− に続くシリーズ2作目。

 高度な自治権を持った「新域」の初代域長に就任した斎は、議会成立前に死ぬ権利を認める「自殺法」の成立を宣言し、直後に64人の集団自殺がネット中継される。

 検察官の正崎は警察の協力も得て、身を隠した斎を探し出し起訴することを目指す。だが日本には自殺自体を裁く法はなく、自殺教唆・自殺幇助で検挙するにも証拠が集まらない。64人は自ら望んで死に向かったようにしか見えなかった。

 正崎は斎と共に行動する曲世愛についても調査を進める。彼女と接触した検察事務官2名も不可解な自殺を遂げている。彼女の学生時代にカウンセリングを行った医師の話を聞くと「暴力的に人の心に踏み込み、指一本触れずに蹂躙する」という。

 斎を追い詰められず焦る正崎だが、急遽、斎の方から選挙実施の通知と公開番組での「自殺法」賛否についての討論会実施の提案を受ける。正崎は公開番組収録時を狙って強引に斎の身柄を確保しようと画策する。

  

【感想・考察】

 曲世愛の闇を描くノワール小説的な雰囲気で、正直読後の後味は悪い。前作にあったコミカルなノリもほとんどなく、重苦しい雰囲気の中「自殺」というさらに思いテーマを追う。

 人は生への執着を持ち、死を恐れるのと同時に、死への衝動「タナトス」を持つ。人が自殺することの善悪はどのように判断できるのか。

 例えばキリスト教では、命は神から授かったもので、全てを含めて神の思し召しなのだから、自ら命を絶つことは神への冒涜だとして「道徳的に」抑止しようとしてきた。

 近代の法律面でみると「個人は他の個人の自由を害しない範囲で自由であるべき」というのが原則になるだろう。そういう意味で自殺は「自分の命を処理しているだけ」なので罰する根拠がないとも言える。

 ただし社会的責任の放棄で間接的に他者の自由を制限する場合もありうる。極端な例でいうと、生まれたばかりの赤ん坊を持つ両親が自殺した場合、赤ん坊は「親の助力を得ながら生きる」という権利を害されたとも言える。

 これは極端な例なので、自殺自体ではなく「保護責任者遺棄致傷罪」とか「未必の故意による殺人罪」などで別に裁かれるべきなのかもしれない。ただ、例えば自殺者の債務などを考えても「自殺の可能性を考慮することで、適正な債権債務関係を結ぶ為の社会的コストが上がる」というリスクがあり、間接的に他者の自由を侵害している。

 そういった道徳や理屈に咨るまでもなく「感情面」で近しい人を悲しませることは「悪」という捉え方をするのが一番分かりやすいかもしれない。ただそこを根拠とすると、「社会的責任を負うわけでなく自分の死を悲しむ人がいないのなら自殺は自由だ」という結論になるのだろうか。

 死を問う重さがずっしりとくる作品だった。。

 

 

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