風鈴
【作者】
松浦理英子
【あらすじ・概要】
まだ小学生だった「アオイ」と「ワタル」は、田舎の町で暮らしていた。俳優の父親を持つ「ミヤビ」が父親の撮影に付き合って、夏休みの時期に二人の住む街へ訪れる。ミヤビは二人にボルダリングを教えつかの間の田舎の生活を楽しむ。
当初は三人で遊んでいたが、アオイかワタルのどちらか一方だけを誘って出かけることも多く、アオイとワタルの間に微妙なわだかまりが生じてしまう。そんなぎこちなさを嫌い、アオイは一人で木製の風鈴づくりをする。いつしかワタルもミヤビも合流し、三人はそれぞれの風鈴を仕上げる。ミヤビの作った風鈴は崖の壁面のような鐘の部分に6人の人間を模した木片が当たりカラカラと音を立てる。ミヤビは「この6人は私たち三人とその子供だよ」という。
アオイが都会に帰ってから、別の撮影部隊が訪れた。その中の一人の男性にアオイは嫌悪感を覚えるが、ワタルは親しく交流を深めていく。ある日ワタルが行方不明となり、その撮影班の男に殺害されたワタルをアオイが発見してしまう。
【感想・考察】
子供の頃の出来事を追想するような淡々とした筆致。おそらくジェンダーの問題を提起したいのだろう。まだ自己認識が固まらない男の子と女の子が、少し年上のお姉さんに翻弄される姿や、同性愛傾向のある大人に殺害された少年など、ジェンダーに揺らぎを感じる読者に響く話なのかもしれない。
バビロン3 ―終―
【作者】
野崎まど
【あらすじ・概要】
バビロンシリーズの3作目。サブタイトルに「終」とあるが、シリーズ最終作ではない。今作では東京地検特捜部の正崎が主人公だった前作から舞台を変え、アメリカ大統領の視点から描く。
日本の「新域」で成立した「自殺法」が波及し、アメリカ、ドイツ、フランス、カナダ、イギリス、イタリアといった G7参加国の都市でも自殺を認める宣言や立法が行われる。FBI捜査官としてアメリカで捜査協力をする正崎の警告を受け、人を操り自殺へ誘導する女「曲世愛」への捜査も動き始める。
各国首脳が集まるG7サミットでも「自殺法」についての討議が始まるが、「自殺を認めるか否か」という検討から「善とは、悪とは何なのか」の探求へと移っていく。
日本の「新域」ではサミットの開催にぶつけ「自殺法導入都市」の主導者を集めたコミッティーを開きサミットを牽制する。
自殺は「悪いこと」なのか、「悪いこと」とは何なのか。
【感想・考察】
このシリーズは徐々に後味の悪さを加速させていく。丁寧な描写で「いい人だな」と思わせてから死亡フラグを立てまくるので、読んでいて気分が重くなってしまう。
とはいえ、前作までの「自殺の可否」から一歩進んで「善悪」の判断について、大統領の立場で見解を示している。シリーズ1作目にも正崎の「正義とは正義を問い続けることだ」という言葉があったが、「続いている」ことが「善い」ことなのだとしてる。
「公平」「功利」「自由」「生得的な道徳観」など、よく語られる正義の根拠と比べると「続いている」という定義は散文的で、すっきりと腹に落ちない部分もある。
後味の悪い作品ではあるが、作者の善悪感のさらなる追及に興味があり、次回作を期待してしまっている。
君にはもうそんなことをしている時間は残されていない
【作者】
千田琢哉
【あらすじ・概要】
「Time is Life. と気づくことが、幸せな人生のスタートだ」として、一秒たりとも時間を無駄にしない生き方を提唱する。全部で70項目を挙げているが、中で印象的なものをピックアップする。
・一分の遅れは相手の時間を軽く見ている
一時間の遅れなら何か事情があるのかもしれないが、一分の遅れを悪びれずする人は相手の時間を軽く見ているので付き合うべきではない。
・挨拶をするかどうか迷わない
相手が誰でも相手が返事をしようとしまいと気にしない。
・指示された雑用の理由をいちいち聞かない
立場上受ける必要がある雑用なら理由を聞いても悪い印象を残すだけ。黙ってさっさとやる方が時間がかからない。
・お礼の年賀状を出さない
先に出さなかった時点で、出す必要はないと判断している。形式的な付き合いだけであればお互いの時間を無駄にする。
・一瞬でも迷ったらパーティーは欠席
義理で参加するパーティーは得るものが少ない。即不参加の返事をする方が相手のためにもなる。
・1分以上不貞腐れない
不貞腐れている時間は全くの無駄。感情を抑えることはできないが、1分以内に気分を変える。
・つまらない研修や研修は途中で抜ける
「お金を払ったからもったいない」よりも時間がもったいない。講師はつかみに最高のネタを持ってくるので、最初がつまらなければ後から面白くなることはまれ。
・買った本を全部読まない
あらかじめその本を読む時間を決めてしまう。例えば30分と決めてその時間で興味ある部分を拾い読みする。一年後に残っているメッセージが一つでもあれば役に立ったといえる。
・お礼状は当日書いて即投函
即座にもらうと印象に残る。出し忘れも防げる。
・「キリのいい来月から」と考えると大成できない
「今から」できることをやる。
・入社1か月で辞めた新人が別の場所で活躍するケースは多い
ちょっとした我慢ができない人はダメ人間、という風潮があるが、軌道修正するなら早く決断できる人の方が成功する。
・うすうす無駄な努力と感じていることはやめる
直観は正しい。「頑張っているが報われないだろうな」と自分が感じていることはやめる。
【感想・考察】
年を経るにつれ時間の大切さを痛感する。自分として生きるためには時間を奪う人から身を守る必要があるのは間違いないだろう。
またレスポンスをよくすることは、自分の時間も相手の時間も大切にすることにつながる。迷うよりは先に進むべきだとおもう。
一方で自分の時間にこだわりすぎ「1分遅れた相手とは二度と会わない」、「興味ない飲み会はすべて断る」、「電話は1分以内」など 「やり方」の部分だけに意識が集中してしまうとバランスの悪い人間になってしまう懸念もある。時間は命と等しいものだから、相手に時間を与えることは命を共有することだし、相手が時間を割いてくれることに深く感謝できる。ときには「効率」を考えない時間の使い方が人間関係を豊かにすることもあるのだと思う。
バビロン2 ―死―
あらすじ・概要】
前作 バビロン1−女− に続くシリーズ2作目。
高度な自治権を持った「新域」の初代域長に就任した斎は、議会成立前に死ぬ権利を認める「自殺法」の成立を宣言し、直後に64人の集団自殺がネット中継される。
検察官の正崎は警察の協力も得て、身を隠した斎を探し出し起訴することを目指す。だが日本には自殺自体を裁く法はなく、自殺教唆・自殺幇助で検挙するにも証拠が集まらない。64人は自ら望んで死に向かったようにしか見えなかった。
正崎は斎と共に行動する曲世愛についても調査を進める。彼女と接触した検察事務官2名も不可解な自殺を遂げている。彼女の学生時代にカウンセリングを行った医師の話を聞くと「暴力的に人の心に踏み込み、指一本触れずに蹂躙する」という。
斎を追い詰められず焦る正崎だが、急遽、斎の方から選挙実施の通知と公開番組での「自殺法」賛否についての討論会実施の提案を受ける。正崎は公開番組収録時を狙って強引に斎の身柄を確保しようと画策する。
【感想・考察】
曲世愛の闇を描くノワール小説的な雰囲気で、正直読後の後味は悪い。前作にあったコミカルなノリもほとんどなく、重苦しい雰囲気の中「自殺」というさらに思いテーマを追う。
人は生への執着を持ち、死を恐れるのと同時に、死への衝動「タナトス」を持つ。人が自殺することの善悪はどのように判断できるのか。
例えばキリスト教では、命は神から授かったもので、全てを含めて神の思し召しなのだから、自ら命を絶つことは神への冒涜だとして「道徳的に」抑止しようとしてきた。
近代の法律面でみると「個人は他の個人の自由を害しない範囲で自由であるべき」というのが原則になるだろう。そういう意味で自殺は「自分の命を処理しているだけ」なので罰する根拠がないとも言える。
ただし社会的責任の放棄で間接的に他者の自由を制限する場合もありうる。極端な例でいうと、生まれたばかりの赤ん坊を持つ両親が自殺した場合、赤ん坊は「親の助力を得ながら生きる」という権利を害されたとも言える。
これは極端な例なので、自殺自体ではなく「保護責任者遺棄致傷罪」とか「未必の故意による殺人罪」などで別に裁かれるべきなのかもしれない。ただ、例えば自殺者の債務などを考えても「自殺の可能性を考慮することで、適正な債権債務関係を結ぶ為の社会的コストが上がる」というリスクがあり、間接的に他者の自由を侵害している。
そういった道徳や理屈に咨るまでもなく「感情面」で近しい人を悲しませることは「悪」という捉え方をするのが一番分かりやすいかもしれない。ただそこを根拠とすると、「社会的責任を負うわけでなく自分の死を悲しむ人がいないのなら自殺は自由だ」という結論になるのだろうか。
死を問う重さがずっしりとくる作品だった。。
偽ガルシア=マルケス
【作者】
古川日出男
【あらすじ・概要】
ガブリエル・ガルシア−マルケス ではない ガブリエラ・ガルシア−マルケスは「私は誰なのか」と問いかける。ガルシア−マルケスの代表作のイメージを再構築して投げかける。物語を育む場として「家」を中核に据えている。
「読書をして数時間後、明日、一週間後に残っているもの」そういう「読書の染み」を集めていく。水中都市、40cm浮かぶ神父、ウミガメ、蟹を殺しあるいは殺さない、年老いた天使、バラの香り、星の動く音がうるさくて眠れない男、などガルシア−マルケスの短編に出てきたイメージを投げかけ、物語として再構築している。
例えば「海」という言葉をとっても、マルケスがイメージしたカリブ海と、私がイメージした海水浴場は全く違うように、「読書の染み」はそれぞれ違う。「私」はそういう染みをたくさんコレクションして、物語を編んでいく。
【感想・考察】
独特な文体で実験小説的。私はガルシア−マルケスを読んだことがないのだが、文体などは彼のものに寄せているのだろうか。小説としてはストーリーとして成り立っていないが、様々なモチーフから伝わるイメージが鮮やかな色彩で流れ込んでくる。
ガルシア−マルケスの作品は敬遠していたが、一度は読んでみよう。
バビロン1 ―女―
【作者】
野崎まど
【あらすじ・概要】
東京地検特捜部の正崎は、薬品の試験に不正があったという薬事法違反の捜査を進めていたが、操作の中で浮かび上がった医師が不可解な「自殺」をする。事件を追ううちに政治家秘書が関与していることが発覚する。
この時期、都市機能の分散のため 町田・相模原・多摩、八王子を併せ「新域」とする構想が進められ、初代新域域長の選挙が行われていた。事件に関わっていたのは、この選挙の候補者の私設秘書であり、地検特捜部を挙げた大きな事件となっていく。
正崎は「新域」構想の真意を知り、その背後に動く「女」と対峙していく。
【感想・考察】
シリーズの第1作でこの作品だけでは完結しない。検察官である正崎と事務官、記者、刑事 たちとのやり取りがコミカルに描かれ、明るい雰囲気で始まるが徐々に重たい闇が見えてくる。野崎氏の作品らしく緻密に描写される世界背景と、超常的な能力を持った者の振る舞いが、臨場感を持って語られている。
引き込まれて一気に読み終わった。
世界でもっとも貧しい大統領 ホセ・ムヒカの言葉
【作者】
佐藤美由紀
【あらすじ・概要】
ウルグアイ大統領だった ホセ・ムヒカがスピーチやインタビューで語った言葉を説明する。
ムヒカ大統領は青年時代に軍事政権に反抗するゲリラ組織に所属し逮捕され13年間を獄中で過ごす。その後政権交代によって釈放され1995年から政治家として活動し、2010年から2015年まで大統領を務める。
質素な生き方で「貧乏とは物を持っていない人ではなく、無限の欲で満足できない人のことだ」という言葉は「足るを知る」というアジアの思想に近いものがある。民主主義の世の中では「多数派」である貧しい人に寄り添うことを徹底した。
2012年6月20日、リオ・デ・ジャネイロで行われた「持続可能な開発会議」でのスピーチが世界に衝撃を与えた。かなり長いが全文引用したい。
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会場にお越しの政府や代表の皆様、ありがとうございます。
ここにご招待いただいたブラジル国、そしてディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前にここに立って演説した心良きプレゼンターの皆様にも感謝いたします。国を代表するもの同士、人類が必要とする国同士の決議を議決しなければならない。その素直な志をここで表現しているのだと思います。
しかし頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。
午後からずっと話されていたことは「持続可能な発展と世界の貧困を無くすこと」でした。けれども私たちの本音は何なのでしょうか。現在の裕福な国々の発展と消費モデルをまねすることなのでしょうか。
質問をさせてください。
ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば、この惑星はどうなるのでしょうか。息をするための酸素がどれくらい残るのでしょうか。
同じ質問を別のいい方でしましょう。
西洋の富裕社会が持つ傲慢な消費を、世界の70億~80億の人ができると思いますか。そんな原料がこの地球にあるのでしょうか。可能ですか。
それとも別の議論をしなければならないのでしょうか。
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか。マーケット経済の子供、資本主義の子供たち、つまり私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求め社会を作ってきたのです。マーケット経済がマーケット社会を作り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか。グローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか。
このような残酷な競争で成り立つ消費社会で「みんなで世界を良くしていこう」といった共存共栄な議論はできるのでしょうか。どこまでが仲間で、どこからがライバルなのですか。
このようなことを言うのは、このイベントの重要性を批判するためではありません。その逆です。
われ笑の前に立つ巨大な危機問題は、環境機器ではありません。政治的な危機問題なのです。現代にいたっては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。
私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を通り過ぎてしまいます。命よりも高価な物は存在しません。
ハイパー消費が世界を壊しているにもかかわらず。高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。
消費が社会のモーターになっている世界では、私たちはひたすら早く、多く消費しなくてはりません。消費が止まれば経済がマヒし、経済がマヒすれば、”布教のお化け”がみんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには、商品の寿命をの縮め、できるだけ多くを売らなければなりません。ということは、本当なら10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない・・・
私たちはそんな社会にいるのです! 長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけない。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。
悪循環の中にいるjことにお気づきでしょうか。
これは紛れもなく政治問題です。私たち首脳は、この問題を滅の解決の道に導かなければなりません。石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと行っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
昔の懸命な人々、エピクロス、セネカやマイアラ民族までこんなことを言っています。「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」これは、この議論にとっての文化的なキーポイントだと思います。
私は国の代表者として、そういう気持ちでこの場に参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉が結構あるかと思います。しかし皆さんには水源危機と環境危機が問題の源でないことを分かってほしいのです。
根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは、私たちの生活スタイルだということ。
私は環境資源に恵まれている小さな国も代表です。
私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、私の国には、世界で最もおいしい1300万頭の牛がいます。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。わたしのくちは食べ物の輸出国です。こんなに小さな国なのに領土の90%が資源に溢れているのです。
私の同士である労働者たちは、8時間労働を成立させるために闘いました。そして今では6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前より長時間働いています。
なぜか?
バイク、車などのローンを支払泣分ければならないからです。毎月2倍働き、ローンを払っていったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。そして、自分自身に質問を投げかけます。これが人類の運命なのか・・・と。
私の言っていることはとてもシンプルなものです。
発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。
愛を育むこと、人間関係を築くこと、子供を育てること、友達を持つこと、そして必要最低限の物を持つこと。
発展はこれらをもたらすべきなのです。
幸福が私たちの最も大切なものだからです。
環境のために闘うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であることを覚えておかなくてはなりません。
ありがとうございました。
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【感想・考察】
自身が質素に清廉な生き方をしている。資本主義の仕組み自体が人を幸福にしないという考え方で言行一致を貫く姿勢は立派だと思う。
ただ、人々がこういう生き方を選択するのは実際には極めて難しいだろう。「より楽をしたい、より多くの快を得たい、より安全を確保したい」という根源的な欲求とうまく結びついてしまった資本主義のドライブ力から離れるためには、それに代わるより吸引力の強い原理が必要なのだろう。
無限に消費を煽る以外の方法で社会を持続的に発展させるにはどうすればいいのか。きわめて深い問題提起だ。。