毎日一冊! Kennie の読書日記

面白い本をガンガン紹介していきます!!

スノーデン 日本への警告

【作者】

 エドワード・スノーデン、青木 理、井桁 大介、金 昌浩、ベン・ワイズナー、マリコ・ヒロセ、宮下 紘

 

【あらすじ・概要】

 アメリカ政府が秘密裏に行なっていた情報収集について、告発したエドワード・スノーデン氏を招き、プライバシーを専門に扱う日米の弁護士や、公安警察をよく知るジャーナリストなどが参加した対談をまとめた本。

 9・11 以降、アメリカ政府は急速に監視体制を強めていった。従来であれば対象者を個別に調査するしかなかったような情報が、技術の進歩により低コストで行うことができるようになっている。例えば携帯電話の位置情報を使えば、誰が、いつ、どこに、誰と一緒にいたのかという「メタ情報」を大量に入手することがでいる。通話内容を聞くことはなくても、プライバシーを裸にすることができる。インターネットの情報もアメリカを経由する部分が多く、アメリカ政府がやろうと思えば大規模ば情報収集はいつでも可能だ。

 今まででも犯罪が起こった後に調査のために調査をされることはあったが、事件が発生する前に幅広い対象者のデータを蓄積することができるということの恐ろしさを述べている。扱えるデータ量も膨大になっているので、全てのデータを保存し、何らかの嫌疑がかかった段階で遡及的に過去の情報を使うこともできるが、「情報を持つものの意にそぐわない行動」が広く制限される危険性を警告している。

 日本の公安警察も、従来は対左翼・共産主義の過激活動をレゾンデートルとしていたが、9・11以降は、テロ警戒のため、イスラム教徒全般を無制限に監視対象としていたことが分かっている。

 スノーデン氏は民主主義の根底は、情報がオープンになり市民が自分で判断していくことだが、非公開で行われる活動はそもそも是非を問われることがなく、それ自体が問題だとしている。例えばテロの脅威からセキュリティーを高めることと、個人のプライバシーを守ることはトレードオフであり、最適なポイントを考えて判断する必要があるが、何をしているかの情報もなければ判断できない。当時のデータではテロで死ぬのは400万人に一人で、バスタブで溺れるよりはるかに低い確率だが、その対策として考えるには、情報セキュリティーにコストをかけすぎているし、プライバシーの犠牲も大きすぎるという見解を示している。

 参加者の意見をまとめると、情報統制による危険を回避するためには、「監視に対する監視の仕組みを作ること」、「市民が能動的に動くこと」、「ジャーナリズムが気概を持って調査発信をしていくこと」が必要だとしている。

 

【感想・考察】

 スノーデン氏は話題になったが、実は彼の活動をよく理解していなかったので 、本書は大変参考になった。

 技術進歩により情報収拾と活用のコストは圧倒的に上がっているのに、情報を収集する側も、対象となる側もリテラシーが追いついていないことが根本問題なのだと思う。リテラシーを高めるためには、情報収拾の仕組みや使われ方に対する知識を幅広く伝えることが必要だし、閉鎖的な情報利用を監視する仕組みと仕組みが馴れ合いで陳腐化しない仕組みが大切だと思う。会計監査会社との付き合いをみても、監視する対象が大手クライアントでもあるとどうしても馴れ合いが起こるし、定期的なリフレッシュがないと効果の維持は難しい。

 様々な問題を提起する本だった。

 

成毛眞の超訳・君主論

【作者】

 成毛 眞

 

【あらすじ・概要】

 日本マイクロソフトの元社長である成毛氏が、マキアヴェッリの「君主論」について独自の解釈をしたもの。古典の翻訳作品は読みにくいので原典に当たる必要はなく、程よく咀嚼・解釈されたものからエッセンスを学べばばいいというスタンスで「超訳」として書籍化している。

 マキアヴェッリが仕えたフィレンツェの君主は、決断力に欠けたため周辺の強国に圧倒されてしまった背景から、君主はいかにあるべきかを解いたのが「君主論」。この本は「目的のためには手段を選ばない」ような印象を持たれているが、実際にあるのは「目的のために強い情熱を持てるもの」がリーダーたりうるという認識であり、その実現のために「人格」や「協調」に依拠するのは現実的ではない、という見方だ。

 現代日本の置かれた状況は、15世紀のフィレンツェにも近く、勇断できるリーダーと決断実行を正当に評価するフォロワーが必要だとしている。

 個別のビジネスや日常生活にも活かせるような項目を、成毛氏独自の視点やマイクロソフト社での経験を通し、現代状況に合わせた解釈をして述べている。特に印象に残った点は以下のようもの。

・「面倒な奴」になり、周囲から予測不能と思われれば周囲をコントロールできる。

・良いと思って行うことでも、万人の理解を得ることはできない。「誰からも嫌われない」ことを目指すと、「何もしないのが最適」という判断になってしまう。時には99%を1%の理解者のために全力を尽くすことが有益なこともある。

・「中立」は最終的にはどこからも信頼を得ることができない。「敵・味方」を明確にすることで、自分自身にも相手にもメリットがある。

・人は見た目と結果で判断される。努力した過程を見てもらえるというのは甘えで、ほとんどの場合は結果しか見られていい。結果を出さなければ意味がないし、結果がでるのであれば方法は問われないことが多い。

・「援助を求めるのは禍を呼ぶ」というマキアヴェッリの論旨には、成毛氏は反対している。奢ってもらうなど意図的に借りを作ることで関係を強めることもできる。

・「小さな侮辱には反応するが、大きな侮辱には反応しない」としている。例えば部下にぐちぐち文句を言うと反感を買うが、思い切って首を切った時は反撃はなかったことなどをあげる。

 

【感想・考察】

 マキアヴェッリはその著作で歴史に名を残したが、彼自身は不遇な人生を過ごしたことを知った。リーダーとして冷徹であることは人々を導くために必要なことなのだと思うが、一個人としての幸福を考えた時に、周囲と良好な関係を築く能力も不可欠なのだと思う。「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きている意味がない」という言葉があったが、逆も真で「優しくなければ生きていけない、強くなければ生きる意味がない」とも言えるのだろう。

 古典の翻訳が読みにくいことには完全に同意する。難しい言い回しが高尚と感じるのか、訳者自身が完全に理解していないのか分かり難ことが多い。翻訳作品を読む時には翻訳の能力は非常に重要だし、特に哲学など高度な理論展開があるときや、描写が重要な文学作品などでは、訳者が誰かというのも重要なポイントだと思った。

 

私たちは生きているのか? Are We Under the Biofeedback?

【作者】

 森 博嗣

 

【あらすじ・概要】

 Wシリーズ5作目。逃走したウォーカロンについて調査し、アフリカの都市を訪問した ハギリとウグイ、アネバネは、「富の谷」と呼ばれる村落を訪れる。その村ではウォーカロンたちが特殊な状況下で生活し、働いていた。ハギリたちも、ウォーカロンたちが暮らす世界に入り込み、そこで起こっていることを知る。

 前作で登場した分散型プログラムの「デボラ」の力を借り、その村落で起こっている謀略を暴いていく。

 

【感想・考察】

 人間と区別ができないほど人間的な人造人間であるウォーカロンの存在、半永久的な寿命を手に入れ生殖能力を失った人間、肉体から切り離された脳の仮想世界での生活、圧倒的な処理能力で学習を重ねた人工知能 等、「人間とは何か」、「生命とは何か」、「知性とは何か」についての思考実験をするための舞台作りなのだと感じる。

 「理路整然としない不合理性」、「ゆらぎ」、「飛躍」などでエントロピーの増大に逆らうのが生命であり、知性であるという見解を示しつつも、そういった「ふるまい」は人工知能にも可能なのだという視点もみせる。前作まではウォーカロンのような人工的な知性が物理的な肉体を持ったら人とどう違うのかという切り口だったが、今作では人間が肉体から切り離され仮想世界で生きるとしたら、プログラムとどう違うのか、という逆視点からの描写となっている。執拗に人間の本質に迫ろうとする作品群。

 極めて哲学的で理屈っぽい作品ではあるが、ハギリとウグイの掛け合いは暖かく「人間的」な魅力に溢れていて、作品全体が明るくなる。このバランスが素晴らしい。

 

 

 

歪顔(ビザール・フェイス)

【作者】

 前川 裕

 

【あらすじ・概要】

 感染すると自分では気づかないが周囲には分かる程度に顔が歪み始め、数日間すると顔面は完全に崩壊し身体中の血管が破裂して死ぬ「赤死病」が流行した。「赤死病」を防ぐワクチンや治療薬は開発されおらず、先天的に抵抗性を持っているごくわずかな例を除き、ほぼ100%の致死率となる恐ろしい病気だった。大学職員である主人公の周辺でも感染を恐れ、ナーバスな状況になっているが、同僚の女性から「あなたには最後まで死んでほしくない」と言われる。主人公の過去が判明し、驚愕のラストへと繋がる。

 

【感想・考察】

 「唯識論」の話が作中で出てくる。人が「自分・相手・周囲の環境」などをどのように認識しているかだけが、存在の本質であるという考え方。この作品では病気やその感染の描写が怖いのではなく、主人公の自己認識が揺さぶられ、結果世界が不安定になり何を信じれば良いのか分からなくなっていく、というところに怖さを感じる。

 エドガー・アラン・ポーの「赤い死の仮面」という短編が元ネタらしいので、そちらも読んで見たい。

 

新しいメディアの教科書

【作者】

 佐々木 俊尚

 

【あらすじ・概要】

 毎日新聞記者からアスキーを経てフリージャーナリストとなった著者が、ネットメディアの動向解析と進むべき方向性の示唆を記した本。「良質なコンテンツ」と「最適な配信方法」が大事だとしている。

 

 ネットメディアはまだ20年程度の歴史しかない。新聞、テレビ、雑誌などは、コンテンツ作成・伝え方・マネタイズなどの手法を長い歴史の中で磨き上げてきたが、現状のネットメディアはまだ成熟しておらず試行錯誤が続いている。

 例えば映画のマネタイズであれば、最初は映画作成会社が自前の上映施設で料金を取っていたが、上映専用の映画館にフィルムを配給することで、幅広く収益を上げられるようにした。のちにはテレエビ曲に放映権を売ったり、ビデオやDVDなどメディアの販売でも利益を上げられるようにした。

 一方で黎明期のネットメディアは、例えば雑誌やテレビの広告モデルを模倣しPCの画面上に広告を表示したりした。ところがネットの窓口がPCからスマホなどのモバイルデバイスに移るに従い、狭い画面に広告が挿入されることに嫌悪感が広がってきた。

 Google は利用者の閲覧履歴などの情報から広告をパーソナライズして、より効果的な広告を見せようとしているが、あくまで統計的な数量として扱うやり方は閲覧者に対する敬意を感じられないとしている。

 これに対し、より質の高い「ネイティブ広告」(雑誌の記事広告のようなもの)は一つの解答になるのではないかと見ている。供給者の側から見れば、記事本文は記者が「コストをかけて作った成果物」で、広告は「収益のため広告主の意向で作ったもの」で全く性質の異なるものだが、閲覧者の立場からは「誰が作ったコンテンツなのか」という区別に意味はなく、「自分の興味ある内容、役に立つ内容か」が大事とする。

 閲覧者に取っての利益を考えず、単に「数を稼ごう」とする態度から、クリックさせるための扇情的なタイトルや、SEO対策の施された質の低い記事のコピペなど、価値の低いジャンクな情報が溢れてしまい、結果的に提供者の首を絞めることになる。

 ネットに移行し「長いコンテンツは読まれない」と認識されているが、必ずしも事実ではない。短いコンテンツにアクセスが集中する傾向はあり、数千文字程度の記事へのアクセスは少なくなるが、1万文字に近いような長い記事へのアクセスはむしろ増えている。ネットにあった伝え方があり、質の良いコンテンツを読ませやすい方法で伝えれば、間違いなく需要があるとする。

 

 新聞などの 伝統的メディアは、コンテンツを作るための高い能力を持ち、また過去からの膨大な情報資産をもっているが、それを「どう届けていくか」という戦略にかけている。情報の供給が需要よりも少ない時期は、「新聞・テレビに、価値あるコンテンツを載せれば見てもらえるもの」という前提だったが、 供給が需要を圧倒的に上回る現在では、いくら良いコンテンツでも相手に届かない。

 ネットへの窓口がPCブラウザから、スマートフォンなどのモバイルデバイスのアプリ経由に移行するに従い、プラットフォーマートしてFacebookやTwitterなどのSNSが重要な位置を占めるようになっている。コンテツ提供者の立場としては、プラットフォームごとの特性を理解し、「どういう種類の情報は、どのプラットフォームに、どのような方法で」提供するのが効果が高いのか、「メディア・ポートフォリオ」の研究をする必要も出てくるだとうとしている。

 メディアの水平展開とコンテンツの垂直統合の双方が必要なのだと締める。

 

【感想・考察】

 ネットメディアの動向が分かりやすく説明されている。新聞・ネットメディアの双方に見識のある著者ならではの作品。

 SNSが全盛となっている現代では誰もが発信者になれるため、情報収集の質×量 で表す「情報収集能力」の積は、新聞・テレビが主導的であった時代より圧倒的に大きいのだと思う。 ただし、十分なコストをかけ質の高い記事を提供しようとしている「一次情報源」として、伝統的なメディアにもまだまだ大きな価値がある。

 プラットフォーマがより良いUXを目指し、全てのコンテンツプロバイダが閲覧者の立場に立った質の高いコンテンツ提供に努め、伝統的なメディアもその流れに乗り資産を生かすことができれば、ネットメディアはさらに充実していくのだと思う。

 内容の濃い良書だった。

 

 

時限病棟

【作者】

 知念 実希人

 

【あらすじ・概要】

 「仮面病棟」の続編。前作のネタバレが含まれるので、両方読むつもりならこちらから始めてはいけない。

 「仮面病棟」の舞台となった病院を使った「リアル脱出ゲーム」が事件の数年後に企画された。ゲームを企画したプロデューサーが謎の死を遂げ、彼を殺した疑いをかけられた医師も「自殺」した。関係者がゲームの舞台となるはずだった病院に集められ、「クラウン」が仕掛けた「リアル脱出ゲーム」を解きながら、事件の真相に迫る。

 閉鎖された病院という完全密室で、登場人物も数人だけという限定された環境での物語展開で緊迫感ある展開。

 

【感想・考察】

 本作は生粋のミステリ。キャラクタ描写を重視したラノベ展開は全くなく、若干のホラー色が漂う。「脱出ゲーム」の緊張感と、「誰が犯人なのか」という謎自体が読者強烈に引っ張っていくミステリの王道というべき作品。医療知識を謎に絡めているところはこの作者のいつものパターンだが、作風の幅広さには驚かされる。こちらの作品から先に読んでいたら、全く違う印象を受けていただろう。

 本シリーズの次回作が読みたい。

 

勉強がしたくてたまらなくなる本

【作者】

 廣政 愁一

 

【あらすじ・概要】

 予備校教師が書いた、勉強に自主的に取り組むことができる手法について述べた本。飲酒に残ったポイントは以下の通り。

・人間は誰でも愚図。愚図であることを前提に「仕掛け」を作ることが必要。

・勉強に集中するためには部屋の整理・机上の整理が第一優先の課題。

・筆記用具など使いたくなる道具が勉強の契機となる。道具にはこだわるべき。

・旅行やカフェなど環境を変えることで集中できることもある。

・習慣化すれば勉強は継続できるが、既存の習慣から席を奪わなければいけない。

・日々の生活を分析し、切り捨てる習慣を見つけることが重要。

・計画は過密になりがち。絵に描いた餅の半分を目標とする。

・成果はすぐには出ないが、突然閾値を超える。その前に止めるのはもったいない。

・MUSTは「やらなければならない」ではなく、「やりたい」と捉え直す。

・期限があるとモチベーションが上がる。人生が有限であることを認識すべき。

などなど。

 

【感想・考察】

 新しい習慣を身につけるためには、まず既存の習慣から何かを切り捨てることが必要だというのは、その通りだと思う。ダラダラする習慣も無意味とは言えないし、脳は既存の習慣を徹底して守ろうとする。自分は何をもっとも快いと感じるのかを理解し、利用するのが良いのだろう。

 勉強は楽しいし生涯続けたいが、楽をしたいしサボりたいという自分も常にある。両方とも自分の本性ではあるし、尊重しながら結果を出したいと思う。

 

 

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