成毛眞の超訳・君主論
【作者】
成毛 眞
【あらすじ・概要】
日本マイクロソフトの元社長である成毛氏が、マキアヴェッリの「君主論」について独自の解釈をしたもの。古典の翻訳作品は読みにくいので原典に当たる必要はなく、程よく咀嚼・解釈されたものからエッセンスを学べばばいいというスタンスで「超訳」として書籍化している。
マキアヴェッリが仕えたフィレンツェの君主は、決断力に欠けたため周辺の強国に圧倒されてしまった背景から、君主はいかにあるべきかを解いたのが「君主論」。この本は「目的のためには手段を選ばない」ような印象を持たれているが、実際にあるのは「目的のために強い情熱を持てるもの」がリーダーたりうるという認識であり、その実現のために「人格」や「協調」に依拠するのは現実的ではない、という見方だ。
現代日本の置かれた状況は、15世紀のフィレンツェにも近く、勇断できるリーダーと決断実行を正当に評価するフォロワーが必要だとしている。
個別のビジネスや日常生活にも活かせるような項目を、成毛氏独自の視点やマイクロソフト社での経験を通し、現代状況に合わせた解釈をして述べている。特に印象に残った点は以下のようもの。
・「面倒な奴」になり、周囲から予測不能と思われれば周囲をコントロールできる。
・良いと思って行うことでも、万人の理解を得ることはできない。「誰からも嫌われない」ことを目指すと、「何もしないのが最適」という判断になってしまう。時には99%を1%の理解者のために全力を尽くすことが有益なこともある。
・「中立」は最終的にはどこからも信頼を得ることができない。「敵・味方」を明確にすることで、自分自身にも相手にもメリットがある。
・人は見た目と結果で判断される。努力した過程を見てもらえるというのは甘えで、ほとんどの場合は結果しか見られていい。結果を出さなければ意味がないし、結果がでるのであれば方法は問われないことが多い。
・「援助を求めるのは禍を呼ぶ」というマキアヴェッリの論旨には、成毛氏は反対している。奢ってもらうなど意図的に借りを作ることで関係を強めることもできる。
・「小さな侮辱には反応するが、大きな侮辱には反応しない」としている。例えば部下にぐちぐち文句を言うと反感を買うが、思い切って首を切った時は反撃はなかったことなどをあげる。
【感想・考察】
マキアヴェッリはその著作で歴史に名を残したが、彼自身は不遇な人生を過ごしたことを知った。リーダーとして冷徹であることは人々を導くために必要なことなのだと思うが、一個人としての幸福を考えた時に、周囲と良好な関係を築く能力も不可欠なのだと思う。「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きている意味がない」という言葉があったが、逆も真で「優しくなければ生きていけない、強くなければ生きる意味がない」とも言えるのだろう。
古典の翻訳が読みにくいことには完全に同意する。難しい言い回しが高尚と感じるのか、訳者自身が完全に理解していないのか分かり難ことが多い。翻訳作品を読む時には翻訳の能力は非常に重要だし、特に哲学など高度な理論展開があるときや、描写が重要な文学作品などでは、訳者が誰かというのも重要なポイントだと思った。