Kennie の読書録

毎日本を読んで、面白い本を紹介したいと思います。

科学的とはどういう意味か

【作者】

 森博嗣

 

【あらすじ・概要】

 科学的であるというのは「再現性のある法則を、数字などの客観的基準で、複数で評価し共有する」こと、とする。

再現性があることで「未来を予測」できることに価値があり、客観的な情報でコミュニケーションすることで、知恵を広く共有することができる。

 

勉強には「情報」を覚える科目と「方法」を理解する科目がある。

日本で教える「九九」などは実用的で有用だが、算数など方法を理解するべき科目でも覚えることが中心になっていることには弊害もある。

その法則を現す「言葉」を覚えた時点で、理解が止まってしまう。

算数や数学に苦手意識を覚えてしまうと、私は「文系」で、科学的なことからは距離を置きたいだという意識を持つ人も出てくる。

科学的な思考や、数字などで説明される事柄から逃避し、「分かりやすい結論」、「主観的なイメージ」を求める。

 

数十年前の少年は雑誌の付録でラジオを作ることもあったが、最近は専門家以外が携帯電話やパソコンの動作原理を理解するのは難しくなっている。

ある意味魔法のようなものであり、原理原則を理解することが難しくなっているのは間違いない。

細かいことまで追求する必要はないが、科学的な説明を忌避する態度は、科学がベースになっている現代で生きるには「損をする」ことになるとする。

 

例えば「津波」という言葉から海岸に打ち寄せる波をイメージすると、対処を誤ることにつながる。

普通の波は風が海の表面に波紋を起こし伝播するので、たとえ5mの高さであっても、5mの堤防に当たれば打ち消される。

ただ「津波」は海底の隆起によるエネルギーなので発生範囲が広く、高さが低くてもトータルでの水の量は段違いに大きい。

仮に5mの津波でも、5mの堤防では防ぎきれない。5mの堤防に当たっても後から水が押し寄せてくるので乗り越えてくる。水流が集中すると5mの波が10mにも15mにもなりうる。「津波」に対する理解の有無で対応が変わってくる。

 

科学を「好き」になる必要はないが、科学的なことを頭ごなしに拒否する「思考停止」から離れ、科学の語ることに耳を傾ける態度を持つべきだとまとめている。

 

【感想・考察】

 森博嗣氏の書く小説は「科学的」な素材を扱うが、人の主観や定性的なことも深く描かれている。本書では「理系」・「文系」をステレオタイプに描いているが、相互の要素は相反するものではなく、共存することでより深みを増す、ということを理解したうえで書かれているのだろう。

 

「情報を覚える」ことと「方法を理解する」ことの違いは重要だと思う。

例えばルービックキューブを解こうと思えば、解説書を見ながらその手順を「覚える」ことはできる。ただ覚えた手順は時がたつことで忘れてしまう。手順を覚えるのではなく、どうしてこういう挙動になるのかを「理解」すると、深いところに入り込む。簡単には忘れないし、自分なりに改善方法を考えたりもできる。手順書を覚えようと繰り返し練習するよりも、理屈を理解しようとする方が効率がいいし、先の発展性もある。

 

 国語や社会、外国語のような文系科目でも、情報を覚えるだけではなく「どうしてそうなっているのか」の原則を見抜くことで、理解が急に深まる瞬間がある。量をこなして覚えることは必須だが「量を質」に転換するには、「情報の記憶」から「方法の理解」への跳躍が必要なのだろう。

 

 

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