科学哲学への招待
「科学」が辿ってきた歴史と、今日的な課題について説く本です。内容が凝縮されていて濃すぎる感じがあるので、関連分野の本を読みもう少し学んでみたいと思いました。科学を学ぼうとする人、技術に携わる人は読んでおくべき本なのではないでしょうか。
【作者】
野家啓一
【あらすじ・概要】
・科学の歴史
古代ギリシアのアリストテレス的世界観が長く維持されてきた。そのセントラルドグマは「天上と地上の区別」「天球の存在」「天体の円運動」にあった。
中世に入りキリスト教的世界観が西欧を支配していたが、12世紀にイスラム世界からギリシア的世界観が再輸入され、科学の進化が起こった。
コペルニクスは「天体の円運動」を精密化するなかで「地動説」にたどり着き、天球の存在を否定した。
ガリレオは「実験と論証」を用い、自然を数学化していった。
ニュートンは、天体と地上の運動に共通する「万有引力」を見出し、天上と地上の区別をなくした。
デカルトは「物心二元論」を唱え、機械論的な自然観を提示した。
19世紀半ばに入り「科学者」という言葉が生まれ、大学などの高等教育機関で科学が学ばれるようになった。学会の存在や同僚評価による論文の水準維持など現在につながる仕組みが出来上がる。
ギリシアの時代から「科学」は高尚な物であり、「技術」は野卑な物という認識が一般で、科学と技術は対極的に捉えられていたが、この時期から融合し始める。
日本に「科学」が輸入された時には「技術」とセットで捉えられていた。
20世紀初頭の世界大戦を通じて、科学を利用した技術が戦争兵器などに使われ始めたことで、国家や大企業が後押しする科学プロジェクトが興り、科学と技術の融合が進んだ。
・科学哲学
論証による「演繹法」は厳密だが発展性がなく、実験観察による「帰納法」は新しい法則を見出すことができるが厳密ではなく傾向の抽出にとどまる。
両者の良いところを活かす「仮説的演繹法」が科学の方法として主流になる。
(問題発見→仮説→論証による演繹→実験による検証もしくは反証)
ポパーは、検証はどこまで行っても確率論に過ぎないので、事実と一致しない反証をもって仮説を放棄し次に進む「反証主義」を元に、進化論的アプローチを取り入れた「批判的合理主義」を提唱する。自由に批判しあえる民主主義的な体制を基礎としている。
クーンはパラダイム論を唱え、科学は直線的に進化するのではなく、時期ごとに中心となる「パラダイム」があり、それが入れ替わっていくと考えた。
また、クワインは知識は体系として存在し、個別事実への反証だけでは知識体制全体は入れ替らず、徐々に変化していくものだと述べた。
・科学社会学
20世紀初頭にマートンは科学者の規範として CUDOSの原則を上げた。
公有制(Communality)、普遍性(Universality)、無私性(Disinterestedness)、組織的懐疑主義(Organaized Skipticism)
今日、科学と技術が融合し国家プロジェクト的に扱われる状況では、DOCUSの原則を保つことは難しくなっている。
リスク管理の視点、専門家以外の判断への介入などが必要となってきている。
【感想・考察】
冒頭の科学についての用語解説が正直退屈でとっつきにくいと感じたが、読み進めるうちに深く引き込まれた。特に科学哲学の部分は濃い内容をざっくりと説明しているので、理解が及ばずもう少し勉強したいと思わせる。
また科学の与える影響が大規模化・複雑化し、科学の問題を科学者だけで解決できなくなっている中で、どのように倫理基準を定めていくのかは実は緊急の課題であると感じた。
【オススメ度】
★★★★☆