悪と全体主義 ハンナ・アーレントから考える
ドイツ系ユダヤ人である「ハンナ・アーレント」の研究を題材に、全体主義がなぜ起きたのか、その背景を歴史的、地積学的に背景を読み解いた本です。
一旦全体主義の渦が巻き起こると抗うことは難しい。それ故に人々が「複数性を許容」し、大衆の暴走を防ぐことが大事だと結論しています。
アーレントは、ナチスの全体主義は構造的に起こるべくして起きたと論じ、それは類稀なる「悪人」が引き起こした特殊なものだと考え安心したい世間からは激しく糾弾されています。
それでも媚びることなく自身の研究を重ねたアーレントの著作『全体主義の起源』や『人間の条件』を元に、本書の著者である中正氏がアーレントの歴史哲学を分かりやすく説明しています。
分かりやすく、メッセージ性の強い名著だと思います。
【作者】
仲正昌樹
【あらすじ・概要】
第1章 「ユダヤ人という異分子」
ユダヤ人が各地に溶け込んでいたにも関わらず19世紀になって改めて迫害の対象となった。これは西欧に勃興した「国民国家」が求心力を高めるために「異分子排除のメカニズム」を必要としていたからだと説く。
第2章 「帝国主義」と「人種思想」
資本主義により西欧が資源と市場を求めて外に向かい「帝国主義」が加速する。
「民族の文化」を求心力とする「国民国家」が、外部に拡張するのに際し、現地との間で「人種」の意識が生まれ「民族的差別」が起こっ多と読み解く。
第3章 「国民国家の瓦解」と「大衆」
「民族」としてのナショナリズムが拡大するにつれ「国民」意識は浸食されてきた。同時に資本主義の進展により国民国家を支えてきた階級社会も崩れていく。
階級社会からあふれ出した「大衆」は、強い磁力を持つ「世界観」を求めるようになる。世界観を巡る「運動」として「全体主義」が生まれる。
第4章 「凡庸」な悪
ナチスでユダヤ人の虐殺の実務を取り仕切っていた「アイヒマン」の裁判を見て、彼は命令に従っただけではなく「法に従い」、「自分の義務を行った」と主張した。盲目的に権威に服従したわけではなく、自発的積極的に自分の道徳に従っていた。
第5章 人間であるために
意見を表明しあう「活動」を行い「複数性」を許容することが必要だとする。
「全体主義」は陰謀的プロパガンダによって「世界観」を均質化し複数性を衰退させ、取り締まりで意見を交換する「活動」も制限する。
【感想・考察】
現代ではネットが普及し意見を発信する機会は増えているが、「異質なものを排除しよう」という感覚はむしろ強くなっている気がする。「複数性を許容せよ」というメッセージは今でも生きているし、より重要になってきていると思う。
資本主義は次のステージに進んでいるし、交通の発達で地政学的な背景も当時とは全く異なり、今後「全体主義」的な運動がおこるとしてもアーレントが読み解いたものとはまた違うものになるとは思う。
ただどのようなものであれ、「複数性」を認めない狭い正義感で、楽な「無思想」に陥ることが、世界を窮屈にしていくことは間違いないだろう。