光あるうちに光の中を歩め
【作者】
レフ・トルストイ
【あらすじ・概要】
冒頭はキリスト教徒が真に神の御心にそった暮らしをしようとしても、現実生活のしがらみに絡めとられ踏み出すことができないシーンから始まる。
次いで紀元100年ごろのローマで富裕な商人の息子であるユリウスと、奴隷の息子だがユリウスの友人であるパンフィリウスの対話で物語が進展していく。
パンフィリウスがキリスト教の教義に忠実に生きる生活を始めたと聞いたユリウスだが、彼にとってキリスト教徒の生活は欺瞞に満ちているように見えていた。
ユリウスが放蕩の挙句に借金を作り父親との関係も悪化した時、パンフィリウスが話したキリスト教徒たちの生活が正しいように思え、彼のもとに向かおうとしたが、途中でであった男に「人間の本性を認めようとしないキリスト教は欺瞞だ」と諭され元の生活に戻る。
その後、ユリウスは結婚して子供も生まれ、父親から仕事を引き継ぎ、名誉ある公職を任ぜられるなど充実した生活を送っていたが、戦車競走での事故で多くを失ってしまう。自分が求め得てきたものに虚しさを感じ、再びパンフィリウスの元に赴くことを決意する。しかし以前と同じ男に説得され、また決意を翻してしまう。
さらに後、妻も亡くなり自分が人生で積上げてきたものの無意味さを感じ、三度パンフィリウスの元へ向かうことを決める。この時も同じ男に止められるが、今回は男を振り切りキリスト教徒たちの生活に合流する。
「自分以外のため」に生きることで、かつて味わったことのない幸福を感じたユリウスは、老い先長くない時期まで無為に過ごしてしまったことを悔やむが、パンフィリウスは「いつ始めたかは問題ではない、今はまだ光の中にいるのだから、光の中を歩めばよい」と伝える。
【感想・考察】
パンフィリウスが説くのは、キリストの降臨から間もない時期の原始キリスト教というべき内容なのだろう、純度が高いと感じられる。
他者への愛、
弱者への施し、
共産主義的ともいえる私有財産への拘りのなさ、
万人に対する愛が満たされてから、特定の異性を愛し結婚するということ、
科学や芸術は肯定するが、個人の利益などの為ではなく、神を賛美するため、
すべてを正しく行えるわけではないが、正しく行った導師の道を歩むこと、
全てが実現されれば素晴らしい理想郷になるのだろうが、人間の利己的な本性を乗り越えることは難しく、現実のしがらみから逃れることもできない。
自分の日常生活の視点からでは、パンフィリウスが描くキリスト教の理想社会よりも、ユリウスが反論する内容の方が腑に落ちる。自らの行動に自信を持っているパンフィリウスは美しいが、迷い揺れるユリウスの方が自分には理解しやすい。
ストーリーを追う小説というよりも、キリスト教教義に関する対談集という印象だが実に面白かった。