ゼニの人間学
【作者】
青木雄二
【あらすじ・概要】
「ナニワ金融道」の作者である青木氏が「ゼニ」と「人間」の関係を語った本。
前半では、ゼニが人をどう動かすか、ゼニがどう動くのかを語る。ゼニはゼニのある人間のところに集まる。金利のことも金融の仕組みも意識しないビンボー人は圧倒的に損をさせられているとする。「裏を読め」「もっと声を上げろ」という。
後半では「神」というフィクションの否定から入り「唯物史観」から資本主義の構造的問題を述べ、ドストエフスキー「罪と罰」に描かれた極貧の哀しみ、政治家や大手資本家などの我田引水的な手法への怒りを述べる。
資本主義には矛盾が多い、共産主義の理想には賛同するが、現実には共産主義の下でも一部の権力者による腐敗が止まらず崩壊したのをみている。それでも「世の中を少しでも良くしていくため」漫画を通して政治家や資本家の横暴や不正を暴いていきたいという思いを語っている。
【感想・考察】
本書は2000年代初めに出版されたものだが、その時期から比べても富の集中は進んでいる。青木氏は明確に唯物史観をベースとして、共産主義に傾倒しているところがあるが、その弱点にも著者自身が気付いてはいる。
トマ・ピケティは、資本収益率が経済成長率を超える状態で富の集中は進むが、金持ちに金が集まることで経済を牽引するトリクルダウン効果はほぼ期待できない。仕組みとしての所得再分配を行うべきと語っている。経済学者としての論理的な見方だ。
一方で青木氏が本書で展開するのは浪花節的な人情寄りの話だ。「いい女を抱いて、美味い食い物と飲み物をたっぷりとる」という根源的な欲望に忠実で、自分だけいい思いをする金持ちに対する怒りをぶつけている。一方で借金を抱え身動きが取れなくなった人の悲哀を語り、「現状を変えようじゃないか」と背中を押す。
富の集中の加速により歪みが生じていることは間違いないが、「金持ちは倒すべき相手」という闘争意識だけではポジションが入れ替わるだけで本質的な改善にはならないのだろう。
実際に私利私欲にまみれた金持ちが多いのかもしれないが、崇高な理想を持って社会に貢献し結果として富を持った人も間違いなくいる。「結果としての富の集中」に憎しみをぶつけるだけでは社会は活力を失ってしまう。
本書にあった「喫茶店に置いてある砂糖を袋に詰めて持って帰る人は今日ではいない」とのフレーズは一つの解決策を示しているのだと思う。十分に満たされていれば貪欲になることもない。物質面・精神面共に本当に満たされれば私利私欲で人を蹴落とすようなことがなくなるのかもしれない。
本当に闘争の対象とすべきなのは「金持ち」ではなく「貧困そのもの」なのだろう。