毎日一冊! Kennie の読書日記

面白い本をガンガン紹介していきます!!

カー・オブ・ザ・デッド

【作者】

 乙 一

 

【あらすじ・概要】

 ゾンビのストーリー。山道をドライブしているとき、車の故障で立ち往生している男女を助けようとするが、中学時代に自分をいじめていた男と好きだった女性だったことに気づく。一緒に車にいることに耐えられず二人を下ろすが、注意散漫になっているところで「ゾンビ」を轢いてしまう。あらためて合流した同級生とともにゾンビから逃げる主人公。最後は救われたような、気分が悪いような終わり方を迎える。

 

【感想・考察】

 ゾンビを主題とした小説は初めて読んだ。グロテスクな表現はたくさんあり、次々感染が広がり追い詰められる描写もあったが、何故だか全く怖さを感じなかった。主人公の描写があっさりとしているからだろうか。怖くないホラー小説を不思議に感じた。

 

世界の大富豪2000人がこっそり教える「人に好かれる」極意

【作者】

 トニー野中

 

【あらすじ・概要】

 大富豪を例に挙げているが、経済的に恵まれ「幸せ」になるためには、何よりも人間関係が大事だと説く本。

 ・人に関心を持ち、人の話をよく聞く。

 ・人の良いところを探し、誉める。

 ・自分は運の良い人間だと規定し、運の良い人との親交を結ぶ。

 ・時間は大切。時間を奪う人は相手にされない。

 ・ Give & Take でまずは与える、与えたことを忘れるくらいがちょうどよい。

 ・断ることは大事。相手のためにも素早く断る方が良い。

 ・謝ることはマイナスではない、悪いと思ったら謝罪する。

 ・「悪い経験」を語るのは、落ち込む人を慰めるときだけ。

 ・他人のことを気にしない、自分が何をするかに集中する。

 ・あと1年の命なら何をするか、あと5年の命なら何をするか。

 ・公に貢献する気持ちが強さになる。

 ・自分の心のエネルギーに心を向ける。エネルギーを落とすことをしない。

 ・猛烈に感謝する。人に感謝すれば感謝される人生となる。

 

【感想・考察】

  世界には「幸せな富豪」と「不幸せな富豪」がいるという。当たり前すぎるが人に感謝する気持ちを持ち、自分のやりたいことに熱意を持ち、人や世界を喜ばせることを幸せと感じるような人格を持つ人が「幸せな富豪」となった人々の共通項だと分析している。「したたかで狡猾」な手段で金持ちになっても、幸福にはなれない、というのは間違いないだろう。より良く生きようという気持ちが生まれてくる。

 

宵山万華鏡

【作者】

 森見 登美彦

 

【あらすじ・概要】

 京都祇園祭での「宵山」を舞台とし、万華鏡のように折り重なる人々と出来事を幻想的に描く。

 バレー教室に通う姉妹の妹を主人公とする「宵山姉妹」では、祭りの煌びやかで不安な雰囲気の中、姉とはぐれ赤い浴衣の少女たちに「宵山様」に連れて行かれる。

 宵山祭りの日に、主人公が高校時代からの友人「乙川」に悪戯をしかけられる「宵山金魚」では、祭りの夕暮れの美しさと、狂気を感じさせられる。

 つづく「宵山劇場」では、仕掛けられた「悪戯」の舞台裏を描く。「乙川」は無意味な悪戯に資金をつぎ込み、徹底した世界を作り上げた。「乙川」の世界を実現する美術監督と道具係が主人公。

 「宵山回廊」では15年前の宵山祭りで従姉の手を離してしまった女性が主人公。従妹はそれきり行方不明となったままとなっている。その従妹の父親である画家の言動がおかしいと感じるが、彼は「宵山祭り」の1日を永遠に繰り返し抜け出せないまま、1日の中で歳をとっていった。

 「宵山迷宮」では一人の画廊が主人公だが、彼もまた「宵山祭り」の繰り返しに入り込んでしまった。彼の父は一年前の「宵山祭り」の日に衰弱して死んでしまったが、父もまた永遠の1日に捉えられていたのだと思い至る。「乙川」が求めている「万華鏡に組み込む水晶玉」を見つけ、持ち主に返すことで永遠の1日から解放される。

 最後の「宵山万華鏡」はバレー姉妹の姉側の視点で描かれる。意図的に妹の手を離してしまった姉が、自分と妹のために空気よりも軽い水と金魚を封じ込めた風船を求め、宵山の奥深くに足を踏み入れ、「宵山様」に迎え入れられる。彼女はそこから逃れ、「宵山様」に引き寄せられていた妹も引き戻し、「宵山祭り」の夕暮れから離れていく。

 

【感想・考察】

 京都を舞台とした、幻想的で非現実的で美しく狂気を孕みコミカルで無意味で煌びやかな世界描写が頭から離れない。同じ著者の「四畳半神話大系」や「夜は短し、歩けよ乙女」などと同じように、「京都の夕暮れ」、「異世界への窓」、「祭りの喧騒と寂しさ」を描ききっている。ストーリー自体よりも独特の情景描写、世界観に引き込まれた。頭に情景を思い浮かべながら読むので読了に時間のかかる本。

 

香港 返還20年の相克

【作者】

 遊川 和郎

 

【あらすじ・概要】

 香港返還20年を迎え、その変遷を主に政治・経済の観点から解説していく。

 第二次世界大戦後、列強の植民地が次々独立する中で、香港の租借契約はアヘン戦争後に李鴻章と英国間で合意した期限通り99年は有効だとされた。これは、植民地を一気に失った英国がアジア圏での足場を少しでも維持したかったことと、中国側は東西対立の緊張が高まる中、西側諸国との窓口が欲しかったということで、相互の利害関係が一致したためであると分析している。

 実際に返還が行われた1997年前後には、両国にそれぞれ思惑があったが、中国は当初台湾に対する腹案としていた「一国二制度」の手法を香港に適用し、主権はあくまで中国にあるとしながらも、返還後も50年間は香港の政治経済体制の独自性を認めるということで、ソフトランディングを果たした。

 返還後、英系の資本の引き上げがありつつも、中国の外貨決済や株式取引など窓口としてアジアの金融拠点としての位置を固めていった。

 しかしながら、返還後の初代行政長官は経済界寄りの人物で政治経験が薄く、政治経済麺での失策が続いた。

 経済面では、一時的な住宅価格低下を受け、住宅政策を財界側に寄せたため、その後の中国資本流入などの影響で急騰した価格を制御できず、庶民、特に中間層には住宅購入が望めない状況を引き起こしてしまった。

 政治面でも、完全に英国の支配下にあった植民地体制から、民主主義を確立しようとしたが、中国政府の意向を汲みながら中途半端な対応となり、2010年以降の本格的な対立の一因となっている。

 また2000年台中盤以降、香港基本法の解釈や中国人の居住権をめぐる法廷判断などでも、中国全人代の司法解釈が香港司法の頭越しで行われる事態が頻発し、「一国二制度」による司法の独立が形骸化していった。

 2014年に起こった雨傘革命」は、候補者は中国側の過半数の支持を受ける必要があるとして、普通選挙を骨抜きにする施策が取られたことに対する学生を中心とした運動だった。初期は香港政府に対する抗議活動だったが、徐々に講義対象とすべきは香港政府ではなく、中国政府だと言うことがわかり、中国政府は一歩も譲歩しないという姿勢が明確になることで、運動者の中で諦観が大勢を占めるようになり尻すぼみで収束した。

 「雨傘革命」の運動自体は収束したが、香港市民の中で中国に対する反感・不信感が膨らみ、2016年の選挙では「香港独立」を唱える「本土派」が議席を取るなど反動が起こっている。「本土派」などは議員資格を奪われるなど実行力を失っているが、香港市民の中でも特に「高学歴」、「高収入」、「若者」など、中心となって引っ張っていく立場・世代の人による支持が強く、政府と民意の乖離が激しい。

 

【感想・考察】 

 1997年前後からの香港政治経済の歴史を詳細に解析している。事実関係の整理だけでも相当の調査が行われており、史料として価値が高い本。

 中国と香港の関係改善を強く望む。

 香港人から見ると、香港は中国をリードしていたという自負があるのだろうが、世界のパワーバランスの中で「時局に乗った」部分があり、中国との関係自体は謙虚に捉え、中国人に敬意を払うことは必要だろう。使えるものは徹底して利用する「したたかさ」が香港人にはあり、そういう逞しさをもっと発揮してほしい。

 中国側を考えると、「違う考え方」に対する許容量があまりに小さいと感じる。中国の歴史を見ると、強大な皇帝が国を支配していた時期は平和で良い時期であり、地方ごとに分権的な状況にあった時は戦乱期で、平和で発展的な分権政治を経験していないことがあるのかもしれない。他民族をまとめ上げるためには明確な「正義」がなければ立ち行かないことは理解できるが、「自由である」ことの価値を理解し、自らの体制に多様性を組み込めないと、世界のリーダーとなることは難しいのではないかと思う。中国にとっては香港とどう折り合いをつけるかが、今後の試金石となるのだろう。

 

青本

【作者】

 高城 剛

 

【あらすじ・概要】

 高城氏のメールマガジンにあるQ&Aコーナーをまとめた、「白本」、「黒本」に続くシリーズ。「白本」は特にカテゴリはなく文化全般、「黒本」はマスコミや政治寄りだったが、「青本」は「旅」に特化している。

 数十カ国を巡りながら生活する高城氏だけあって、日本国内、アジア、アメリカ、ヨーロッパ、オセアニアとそれぞれの地で、質問者の意図にあった訪問先、レストラン、行き方や注意事項など具体的な内容が書かれている。

 

【感想・考察】

 「女性の一人旅での注意事項は」という質問に対し、「人間観察を徹底的に行って、人を見る目を養い、気の許し方を覚えること」という回答は旅の経験豊富で旅を愛している人の回答なのだなと感じた。私も世界を旅するのは大好きだが、現地の人との距離取り方は難しいと感じている。積極的に楽しんでいきたい。

 

オカルト トリック

【作者】

 八槻 翔

 

【あらすじ・概要】

 影の薄い男子高校生「禅」が、奇術師「凛」、占い師「環奈」、サイコメトラー「沙耶」たちと繰り広げる3つの事件、「呪われた少女」、「孤独な少女」、「失った少女」のの連作となる小説。

 「呪われた少女」は、自分との喧嘩が原因で友達が自殺したのではないか、という不安から「呪われた」と思い込み、引きこもってしまった少女「柚葉」を救う話。禅は、柚葉を救いたいと思う「ありす」と凛と共に、柚葉の呪いを祓う。

 「孤独な少女」は、母子家庭の経済的厳しさを助けようとする「夏目太郎」とその妹が主となる物語。母も太郎も忙しさから小学生の妹を孤独な状況に押しやっていた。妹は藁人形の呪いで現状への鬱憤をぶつける。禅は太郎と妹の穢れを祓い家族を救う。

 「失った少女」では、凛とその家族の確執の話。凛は文化祭でも奇術の舞台に立ちたくないと言い、柚葉が作った衣装を破り逃げ出し引きこもってしまう。禅は凛を探す中で彼女の苦しさを知り、凛とその両親の闇を祓う。

 陰陽師の息子で後継として育てられた禅だが、霊能力のない自分が陰陽師として呪いを祓うことに納得がいかず悩んでいた。奇術師の凛に弟子入りし奇術のトリックを学ぼうとしたのも、陰陽師として相手を「騙す」ことを目指してのことだったが、良心の呵責も感じていた。しかし霊感がないなりに行った除霊で実際に人を呪いから解放できたこと、その意味を凛に認めてもらったことから、陰陽師としてやっていくことに意義を感じ、父から受け継ぐことを決意する。

 

【感想・考察】

 陰陽師、サイコメトラー、占い師、奇術師 という、いかにも「ラノベ異能力バトル」的な配陣だが、特別な能力を直接的に描写しているわけではない。凛の論理的な分析で、占いや陰陽師のトリック・仕掛けを分析し、かつ目的が正しければ手段は正当化されるという功利主義的合理性で、悩む主人公を救う。

 占いでは、相手の反応を読む「コールドリーディング」、積極的に相手の背景を調べる「ホットリーディング」抽象的な表現で自分にも当てはまると感じさせる「バーナム効果」などで相手を信じさせた上で、具体的ではないアドバイスを与える。ある意味トリックで相手を騙しているとも言えるが、受けた側が自分自身で持っていた「正解」を後押しし、実際に良い方向に導けるなら価値があるとする。

 除霊にしても、実際に霊による呪いなどはないとしながらも、死者への思いや、自分のかつての行動への後悔などを、呪いという形で自分に定着させている人々を、理屈で救うことはできず、除霊という儀式で解消させるのは実利にかなっている。葬式などが生き残った人の心を整理するために行われているのと同じだ、と言う。

 奇術は人を騙しながら、人を楽しませるというエンターテインメントであるのと同じく人を騙しても、良い方向に導くのであれば良いというのは実に現代的だと思う。

 文章や登場人物のキャラ付けはラノベ的だが、テーマが明確でメッセージ性の強い作品だった。

 

わたしを離さないで

【作者】

 カズオ・イシグロ

 

【あらすじ’概要】

 「介護士」キャッシーの回想として語られる物語。幼少時代から思春期までを過ごした学校的な施設である「ヘールシャム」での出来事が前半をしめる。友人のトミー、ルースや、エミリ先生、ルーシー先生やとの思い出が語られる。

 導入部では思春期の少年少女の交流を描く青春小説的な雰囲気だったが、生徒の作り出した美術品や詩などを持ち出していく「マダム」の存在や、ルーシー先生の「あなたたちは教えられているが、教えられていない」という台詞などから徐々に「ヘールシャム」が何のために存在する施設なのかが明らかになっていく。キャシーが「わたしを離さないで」という古い歌を聞きながら枕を赤ん坊のように抱き踊るシーンを「マダム」が目撃するが、このシーンは重要な意味を占める。

 後半は、キャシーたちが「ヘールシャム」を出て、コテージで外界との慣らし期間となる数年を過ごし、さらにキャシーが「介護士」となりルーシーやトミーを介護する立場で再会し、「ヘールシャム」時代の思い出を語りながら、人生の終末に向けて進んでいく。物語の最後では「マダム」との再会で「ヘールシャム」の目指していたことが明確になるが、生徒も先生も結局は運命に抗うことができず、静かに運命を受け入れていく。

 

【感想・考察】

 主人公の回想で徐々に状況が明らかになっていくが、驚くべきは「ヘールシャム」の生徒たちが、自らの運命を教えられながら、それを受け入れていたということ。「知ってはいるけど、心の底で理解しているわけではない」状態の不気味さが浮かび上がってきた。また、エミリ先生や「マダム」であるマリ・クロードの戦いは、淡々と抑えた描写で語られるが、とても熱く、キャシーたちが真相を知るシーンには深い感銘を受けた。また特筆すべきは翻訳の優秀さ。翻訳物にありがちな引っかかりもなく、情景が自然に頭に思い浮かんでくる。

 終始静かな雰囲気で物語は進むが、鮮烈な印象を残す作品だった。

 

 

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