「超口語訳」方丈記
「行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
で始まる方丈記の解説書です。
噛み砕いた口語訳にくわえ
書かれた背景の説明や著者の見解もあり
すんなりと頭に入ってきます。
【タイトル】
「超口語訳」方丈記
【作者】
濱田浩一郎
【あらすじ・概要】
口語訳、原文、解説の順で全文を紹介しています。
第一段:流れゆく河、移り行く時代、変わりゆく人
河の流れを見ながら、
「同じように見えても中身は移り変わっている」
ことに気づき表現した。
それは、人の住まう家屋や街並みにも、
人間自体にも言えることだ。
第二段:続く災害、人災の果てに見たもの
京都を襲う大火事、竜巻や地震などの災害、
また飢饉に苦しむ民衆を見ても
全ては移ろうことを感じた。
また、政治的理由で急遽遷都したけれど
結局はすぐに京都に戻ってきた様子を見て
時の権力者への反感を強めたようだった。
第三段:人間はどこに住めばいいのか
同調圧力の中で生きるのは息苦しい。
世の中の生き辛さを嘆く。
第四段:遁世するまで、隠棲生活
鴨長明の父は神社の禰宜だったが
父の引退後、禰宜の地位は親戚に奪われた。
長明が18歳の頃には父が亡くなり、
祖母の家に住んで歌を学んでいた。
長明が30歳になったころ、事情で祖母の家を出て
それまでの十分の一の広さの家に引っ越す。
50歳を過ぎたときに僧侶となり、
50台半ばで方丈(3メートル四方)の家に移った。
第五段:自然の暮らしの味わい深さ
静かで集中できる山奥の環境に満足し
一人で暮らす気楽さを愛している。
第六段:それでも心は求めてしまう
人に寄りかかるべきではない、
心の安定が大事だとする。
それでも、自分のことを書き残し、
隠居暮らしに執着している自分は
まだすべてを捨てることができていないと嘆く。
【感想・考察】
方丈記を読むと、日本人の「無常観」のベースに
台風、地震、火事などの災害が頻繁にあったという
事実があるのだと感じる。
「自然はコントロールできない」という感覚や
「永続するものなどない」という捉え方が育まれてきたのだろう。
やがては「桜は散るからこそ美しい」とか
美意識にまで昇華している。
ただ、方丈記の書かれた背景を見ると
鴨長明個人のキャリア上の不遇などもあって
やや鬱屈してひねた見方になっている部分もありそうだ。
格調高い美文も相まって「これぞ日本人の心!」と
崇拝していたが、ちょっと鴨長明が可愛く感じられた。
それにしても、少し前に「ゼロ・トゥ・ワン」で読んだ
ペイパルやテスラのスタートアップの話で、
彼らが信奉する「世界は俺たちがデザインする!」
という力強い思いとは対極的だなと感じる。
彼らと伍していくには、自分がどのように世界を見ているかに
自覚的である必要があるのだと思う。
本音のところで「世界は無常」と感じたままで
「世界を思いのままデザインしよう」とする戦いには勝てない。
そこには別のやり方があるはずだ。