考える教室 大人のための哲学入門 NHK出版 学びのきほん
プラトン、ルネ・デカルト、ハンナ・アレント、
吉本隆明 たちの著作を題材に
「本と対話し、自分の考えを深めていくこと」を説く本です。
分かりやすい哲学入門書でした。
【タイトル】
考える教室 大人のための哲学入門
【作者】
若松英輔
【あらすじ・概要】
プラトン、ルネ・デカルト、ハンナ・アレント 、吉本隆明の
著作をベースに「考えること」を説く哲学入門。
プラトン「ソクラテスの弁明」-「対話する」ことについて-
ソクラテスは「無知の知」として
「自分が無知であることを知る」ことが大事だとした。
自分が無知であることを認識するがゆえに
他者との対話を大事にしたが、
その姿勢が人々に怖れられ、処刑されてしまう。
自分の「無知」を認め向かい合うには
自問自答を繰り返す「力量」と「勇気」が必要だとする。
またソクラテスは、永遠の問いを繰り返しながら
人生をかけて「魂」を磨き上げることに取り組んだ。
ルネ・デカルト「方法序説」-「考える」ことについて-
デカルトは、事実を確認して「分かった」ということと
それを「考えて」血肉化することは全く異なるとした。
ある人が20年かけて考えたことを本当に理解するには
自分も20年考える必要があるとし、
「早く分かろうとすることは叡智に対する冒涜だ」と
考えていた。
またデカルトは、人々は等しく「良識」を持っているが
それが人の心でどれくらい花開いているかは別の話だとし
「良い精神」をどう用いるかが大事だとした。
「大きな魂は、最大の美徳を生み出すことができるが
同時に最大の悪徳を生み出す力も持っている」と考えた。
ハンナ・アレント「人間の条件」-「働く」ことについて-
アレントは、「人間の条件」の中で
「労働、仕事、活動」の3つを省察した。
「労働」 とは私的な生命活動であると捉え
一方で「仕事」は非自然的で人工的な営みだとする。
本来「労働」は代替不可能なものだが
「労働力」として量的なものに置き換えられ
そこにあった「労り」や「尊厳」が失われていると考える。
「活動」というのは、直接人と人の間で行われるもので
例えばソクラテスが行った「対話」は「活動」である。
「考える」ことは他者とのつながりを前提としており
一人で考えることも「活動」であると捉えている。
また、アレントは頭だけではなく「手を使う」ことを重視した。
永続する何かを作り上げるためには
頭だけではなく手を動かすことが必要になるのだという。
吉本隆明「共同幻想論」-「信じる」ことについて-
吉本隆明は、個人を信頼するのは難しくても
個人の奥にいる「人間」を強く信頼していた。
吉本氏は「国家」は「共同幻想」であるといい、
東洋な国家観では「国家が国民をすべて包んでいる」イメージで
西欧的な国家観では「人々は実社会での生活をしながら
その上に共同の幻想として国家が在る」という捉え方だと
理解していた。
「幻想」であるから空虚なものだ、ということではなく、
人々はその中で「本質に触れる手応え」を感じているからこそ
意味あるものと捉えることができるのだとする。
【感想・考察】
「哲学書の紹介」としてはあっさりし過ぎていたが
「本の読み方」「考え方」を伝えようとする思いを感じた。
著者の「読書とは対話である」という考え方には
全く同意する。
書かれた内容をそのまま飲み込むのではなく、
一つ一つ展開しながら自分なりに咀嚼して
「著者の伝えたかったこと」を探していくのが楽しい。
ノウハウ中心のビジネス書などでは
ポイントを掴んでいく読み方が効率的だと思うが
効率を求めるのではない読書もある。
本書のデカルトの引用で
「早く分かろうとすることは叡智への冒涜」とあったが
「知識を効率的に収集すること」と
「考え方などの叡智を身に付けること」は
別次元だということを理解する必要があるだろう。
そこが区別できれば、例えば
「寿司職人の技術は学校で数か月で学べる」という見解と
「先輩職人の背中を見て時間をかけて盗み取る」という考え方も
矛盾せずに理解できるのだと思う。