別冊NHK100分de名著 集中講義 大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した
釈迦の時代の初期仏教から、大乗仏教系の各宗派に変遷していった流れを解説しています。「大乗仏教は釈迦の教えとは異質なもの」という前提で、それでも「多くの人に具体的な救いを与えてきた大乗仏教は価値のあるもの」だという立場で論じています。
以前読んだ般若心経の本 でも同様の趣旨で論じていましたが、各宗派の根本思想を理解するのに分かりやすくてよい本だと思います。
【作者】
佐々木閑
【あらすじ・概要】
釈迦が開いた初期仏教の教えと、その後広まった大乗仏教は根本思想が異なっていることをベースとし、各宗派の考え方を説明している。講師と青年の対話形式で進められる。
・釈迦の仏教
釈迦自身は出家をし自己鍛錬によって煩悩を一つずつ消し、「生老病死」の苦しみを伴う輪廻から離脱する涅槃を目指した。釈迦は悟りを開きブッダとなったが、ブッダとなるのは数十億年に一人で、現世では悟りを開き阿羅漢となることを目指した。
結果的に「救いの道を示す」ことで「利他」となるが、自助努力で自分自身を救う宗教だった。
・大乗仏教への展開
アショーカ王の時代、異なる解釈を認めたことで多様性が広がった。インド政治の混乱期に出家し托鉢で生活するような余裕がなくなった時代に、在家のままで悟りに至り「ブッダとなる」道を示す大乗仏教が生まれた。
釈迦は唯一のブッダではなく「かつて別のブッダと出会い誓いを立てることで「菩薩」となっていたため、現世でブッダとなることができた」と解釈している。
・般若経
般若経では「般若経」を聴き何か感じることがある人は、かつての輪廻でブッダに出会ったことがあるのだとし、現世で善行を積めばブッダになれるとしている。
釈迦の仏教では「善行」と「涅槃」は関係がないとしていたが、般若経では「空」の仕組みが「善行」をブッダへの導くものと考えた。
釈迦の言う「空」の思想とは「世界には対象物が実在するのではなく、五蘊という認識作用で対象物があると見えているだけ、それは因果に支配されている」とし「五蘊と因果」の外にあるものは幻だとしたものだった。
これに対し般若経では「五蘊も因果もない」とし、それらを超えて世界を統べるのが「空」だとし、「善行」をブッダに生まれ変わる「成仏」へのエネルギーに変換するものと捉えた。
・法華経
法華経では般若経の考えをさらに進め、「一仏乗」の考えで誰もが平等にブッダになれるとした。そのために「法華経」自体を崇めることが近道であるとした。
またブッダになることだけではなく、現世利益についても言及している。
・浄土教
「阿弥陀仏の力で誰もが極楽浄土に行き成仏できる」とする。般若経や法華経が「人は過去にブッダと会っている」というのではなく、マルチバースの中でブッダのいる世界に生まれ変わることを考え、中でも阿弥陀仏がブッダになる仕組みを整えた極楽浄土に行くことを目的としている。
「南無阿弥陀仏」と唱え、阿弥陀仏に救いを求めれば誰もが極楽浄土に行けるという思想が、末法思想が広がった戦乱の世で広く受け入れられた。
またここでは「悟りを開きブッダになること」が目的ではなく、苦しみのない極楽浄土に辿り着くことが目的に変化している。
・華厳経
ブッダはバーチャルノア映像を人々の心に送っていて、それぞれがリアルであるとする。曼荼羅に示されるようにそれぞれの一部分が全体を包括しているとするフラクタル的な 「一即多、多即一」の考え方をベースとする。
華厳経自体が広く知られているわけではないが、茶道や華道、盆栽など小さな世界に宇宙を見出す思想が根本にある。
【感想・考察】
この人の解説を読むと、仏教がVRシミュレーション的な思想に思えてくる。
実在するのは「認識作用と因果だけ」というのは「感覚器に与える映像や音の描写だけで実体はなく、ある入力に対してある出力を返すアルゴリズムに従っている」という、VRシミュレーションの状況に極めて近い。
数千年前の釈迦も、現代を生きるイーロン・マスクのような人も、突き詰めて考える傾向がある人には「世界は仮想現実」説に惹かれるのだろうか。
「生きることは苦しみだ」という超ネガティブ思考から 「世界は仮想だ」という厨二的思想を持った釈迦には、強い親近感を感じざるを得ない。
【オススメ度】
★★★☆☆