毎日一冊! Kennie の読書日記

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寝ながら学べる構造主義

 難解なイメージのある「構造主義」について、ごくごく簡単に解説した本です。ほとんど知識がない状態でも、とても興味深く読めました。

 抽象度の高い意味不明な文章を、具体的に噛み砕いて説明していて、すっと腹に落ちる感じが気持ちいい名著です。

 

【作者】

 内田樹

 

【あらすじ・概要】

 構造主義の前史から、構造主義の思想の中心となる4人を紹介している。

 

1. 構造主義の前史

 現代は「ポスト構造主義」の時代だが「いまだ構造主義的な見方が常識である奇矯な時代」だという。「私には他人よりも世の中が正しく見えている」とは論理的に基礎づけられないことを、だれもが理解するようになっている。

 

 構造主義と端的にいうと「私たちは常にある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的に物を見ているわけではない」ということになる。

 

 構造主義の源流にある思想家の一人であるマルクスは、人間の個別性は「何ものであるか」ではなく、「何ごとをなすか」によって決定されると考えた。社会的な階級によってものの見え方が変わってくるのであり、普遍的な人間性というものは存在しないとした。

 人間はありのままに「存在」するのではなく、自分がそうありたいと思うものになるため「行動」することで何かを作り出し、その創作物が作り手が何ものであるかを規定し返すとする。

 

 もう一人、構造主義の源流にいるのがフロイトだとする。フロイトは「自我」は人間の主人ではなく「無意識」に生起している心情生活から、断片を受け取っているだけだという。マルクスは「自我」は外部に規定されるとし、フロイトは逆方向で「無意識」が規定すると考えたが、どちらも「自我」を中心と考えていない。

 

 また、マルクス・フロイトと同時代人であるニーチェも、過去や異文化の社会的感受性や身体感覚のようなものは「いま」を基準としていては把握できないとし、この系譜学的な思想はフーコーに引き継がれる。

 

2. 構造主義の始祖

 言語学者のソシュールが構造主義の始祖であるとされている。

ソシュールは「ことばとは、ものの名前ではない」といい、言語活動が「すでに分節されたもの」に名前をつけるのではなく、名前を付けることが否定形の世界を切り分けることなのだとする。たとえば「Sheep(羊)」と「Mutton(羊肉)」を区別する英語と、両方を「moutton」フランス語では、観念の切り取り方自体が違う。

 

 

3. 四銃士の活躍

・フーコー

 歴史は「いま・ここ・私」に向けて一直線に進化してきたわけではなく、私は数々の分岐を超えてやせ細ってきた結果であり、その背景には恣意的に排除され「語られなかった」歴史があるとする。

 

・バルト

 ソシュールが「記号」を定義した。「記号」とは意味あるものの「徴候」や「象徴」とは異なり「人為的取り決め」以外の自然的な結びつきがないものをいう。

 バルトはソシュールの記号学を展開した、その中で本書は「エクリチュール」と「作者の死」について語っている。

 「エクリチュール」とは、「ラング(言語)」と「スティル(文体)」に加え、言葉遣いとして集団的に選択され実践される「好み」だと定義される。「ボクっ子」とかの言葉遣いだろう。このエクリチュールがその人の生き方全体をひそかに統御するとしている。

 「作者の死」は「人間が言語を語るとき、記号を過不足なく使うことはできず、作者が言おうとしたことを特定するのは困難」であり、「さまざまな文化的出自を持つエクリチュールによって構成されたテクストは 読者において収斂する」ということだ。

 

・レヴィ-ストロース

 レヴィ-ストロースはサルトルの実存主義に引導を渡し、「意識」や「主体」から「規則」と「構造」に目を向けさせた。

 実存主義では「実存は本質に先行する」として「人がどう決断するかで、何者であるかが決定される」と考える。ここまでは構造主義とも対立しないが、サルトルは「歴史の流れには法則があり、その法則をしれば決断を誤ることはない」としたことから袂を分かつ。

 またレヴィ-ストロースは人間社会の本質は、「社会は常に同じところにとどまっていることはない」、「人間関係の本質は贈与にある」とした。

 

・ラカン

 「鏡像段階」の理論として、初めて鏡を見た幼児が「これが自分なのか」と安堵し、私でないものを私と見立てて私を形成する。この段階で私の原点が私の内部にはないという危うい状況を内在している。

 「父の否/父の名」として、父(父的な父権者)は、名づけることで世界に切れ目を入れ、世界の理不尽さを納得させるプロセスも説く。

 

【感想・考察】

 構造主義に関する書籍は分かりにくいものが多いが、ごく簡単にいうと「人間の自我が主体的に物事を決めているのではなく、構造的な仕組みが決定している」ということだろう。「自我」の力で「無意識」を制御しようというのも思い上がりなのだろうなと思うようになってきた。

 

【オススメ度】

  ★★★★☆

  

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