小説の神様
この作者の「ロートケプシェン、こっちにおいで」では、叙述トリック的などんでん返しも、ある人物の二面性を表現しメッセージ性を強める仕掛けとなっているのに感動しました。本作でもメタ的な表現が作者の思いを伝えるスパイスになっています。
プロットの作り方が素晴らしく上手で、それも技術のための技術ではなく、作者の「伝えたい」という気持ちが乗ってきています。
一読をお勧めします。
【作者】
相沢沙呼
【あらすじ・概要】
高校生二年生の 千谷一也 は、周囲には明かさぬまま作家として活動していた。
デビュー作以降売り上げが落ち続け、書評サイトでも酷評されるのを見て、書く意欲を失っていると、担当する編集者から他の高校生作家との共同執筆を提案される。
その相手である売れっ子作家の不動詩凪は、先日一夜のクラスに転校してきた小余綾詩凪だった。
美人で頭も良く、出す作品がことごとく売れて行く詩凪と共に作業することになった一也は自分の力の無さを感じ、苦しみもがいてゆく。
【感想・考察】
一也の卑屈な自己認識や、浅薄な小説観が延々と語られる。そんな態度が周囲の人々を傷つけるのを見ると、読んでいられない気分になる。
ところが一也の「こんな卑屈で暗い主人公が人を傷つけていくような話は、誰も読みたくないんだ」という言葉が「この本とそれを読んでいる自分の関係」と「一也の物語と小説内の読者の関係」を結びつける。
登場人物が読者の世界に語りかけるメタ発言ではなく、読者を物語の中の関係性に引き込む「逆メタ」的な表現といえばいいのだろうか。その世界に入り込むと、一也の苦悩や、小説に対する思いが、作者自身の苦悩や思いとして、直接的に響いてくる。
「小説は願いである」という作者の小説観や、作品に乗せている願いも見えてくる。
「伝えることは怖いし苦しい、でも伝えることはできる」
「どんなに強く見える人にも弱さはある、でも乗り越えることができる」
「同調圧力は怖い、でも迎合する、ボッチになる以外の道もある」
「Sっ気のある美人女子高生になじられたい」
そんな「願い」が強く伝わってくる。
繊細すぎる主人公の卑屈さに対し周囲の人々が示す優しさが作品のバランスを取り、暖かい読後感となっているのもいい。一也が作品内で語っている通り、これも作者が物語に乗せたい願いなのだろう。
続編が出るようなので、ぜひ読んで見たい。
【オススメ度】
★★★★★