世界でもっとも貧しい大統領 ホセ・ムヒカの言葉
【作者】
佐藤美由紀
【あらすじ・概要】
ウルグアイ大統領だった ホセ・ムヒカがスピーチやインタビューで語った言葉を説明する。
ムヒカ大統領は青年時代に軍事政権に反抗するゲリラ組織に所属し逮捕され13年間を獄中で過ごす。その後政権交代によって釈放され1995年から政治家として活動し、2010年から2015年まで大統領を務める。
質素な生き方で「貧乏とは物を持っていない人ではなく、無限の欲で満足できない人のことだ」という言葉は「足るを知る」というアジアの思想に近いものがある。民主主義の世の中では「多数派」である貧しい人に寄り添うことを徹底した。
2012年6月20日、リオ・デ・ジャネイロで行われた「持続可能な開発会議」でのスピーチが世界に衝撃を与えた。かなり長いが全文引用したい。
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会場にお越しの政府や代表の皆様、ありがとうございます。
ここにご招待いただいたブラジル国、そしてディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前にここに立って演説した心良きプレゼンターの皆様にも感謝いたします。国を代表するもの同士、人類が必要とする国同士の決議を議決しなければならない。その素直な志をここで表現しているのだと思います。
しかし頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。
午後からずっと話されていたことは「持続可能な発展と世界の貧困を無くすこと」でした。けれども私たちの本音は何なのでしょうか。現在の裕福な国々の発展と消費モデルをまねすることなのでしょうか。
質問をさせてください。
ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば、この惑星はどうなるのでしょうか。息をするための酸素がどれくらい残るのでしょうか。
同じ質問を別のいい方でしましょう。
西洋の富裕社会が持つ傲慢な消費を、世界の70億~80億の人ができると思いますか。そんな原料がこの地球にあるのでしょうか。可能ですか。
それとも別の議論をしなければならないのでしょうか。
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか。マーケット経済の子供、資本主義の子供たち、つまり私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求め社会を作ってきたのです。マーケット経済がマーケット社会を作り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか。グローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか。
このような残酷な競争で成り立つ消費社会で「みんなで世界を良くしていこう」といった共存共栄な議論はできるのでしょうか。どこまでが仲間で、どこからがライバルなのですか。
このようなことを言うのは、このイベントの重要性を批判するためではありません。その逆です。
われ笑の前に立つ巨大な危機問題は、環境機器ではありません。政治的な危機問題なのです。現代にいたっては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。
私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を通り過ぎてしまいます。命よりも高価な物は存在しません。
ハイパー消費が世界を壊しているにもかかわらず。高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。
消費が社会のモーターになっている世界では、私たちはひたすら早く、多く消費しなくてはりません。消費が止まれば経済がマヒし、経済がマヒすれば、”布教のお化け”がみんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには、商品の寿命をの縮め、できるだけ多くを売らなければなりません。ということは、本当なら10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない・・・
私たちはそんな社会にいるのです! 長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけない。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。
悪循環の中にいるjことにお気づきでしょうか。
これは紛れもなく政治問題です。私たち首脳は、この問題を滅の解決の道に導かなければなりません。石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと行っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
昔の懸命な人々、エピクロス、セネカやマイアラ民族までこんなことを言っています。「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」これは、この議論にとっての文化的なキーポイントだと思います。
私は国の代表者として、そういう気持ちでこの場に参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉が結構あるかと思います。しかし皆さんには水源危機と環境危機が問題の源でないことを分かってほしいのです。
根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは、私たちの生活スタイルだということ。
私は環境資源に恵まれている小さな国も代表です。
私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、私の国には、世界で最もおいしい1300万頭の牛がいます。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。わたしのくちは食べ物の輸出国です。こんなに小さな国なのに領土の90%が資源に溢れているのです。
私の同士である労働者たちは、8時間労働を成立させるために闘いました。そして今では6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前より長時間働いています。
なぜか?
バイク、車などのローンを支払泣分ければならないからです。毎月2倍働き、ローンを払っていったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。そして、自分自身に質問を投げかけます。これが人類の運命なのか・・・と。
私の言っていることはとてもシンプルなものです。
発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。
愛を育むこと、人間関係を築くこと、子供を育てること、友達を持つこと、そして必要最低限の物を持つこと。
発展はこれらをもたらすべきなのです。
幸福が私たちの最も大切なものだからです。
環境のために闘うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であることを覚えておかなくてはなりません。
ありがとうございました。
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【感想・考察】
自身が質素に清廉な生き方をしている。資本主義の仕組み自体が人を幸福にしないという考え方で言行一致を貫く姿勢は立派だと思う。
ただ、人々がこういう生き方を選択するのは実際には極めて難しいだろう。「より楽をしたい、より多くの快を得たい、より安全を確保したい」という根源的な欲求とうまく結びついてしまった資本主義のドライブ力から離れるためには、それに代わるより吸引力の強い原理が必要なのだろう。
無限に消費を煽る以外の方法で社会を持続的に発展させるにはどうすればいいのか。きわめて深い問題提起だ。。