毎日一冊! Kennie の読書日記

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続堕落論

【作者】

 坂口安吾

 

【あらすじ・概要】

 「堕落論」の続編で、論旨はほぼ重なる。

 戦後の「日本の道義が退廃している」「貧しさに耐え、倹約の精神を持ち、ひたいに汗して勤労する農村文化を復興させるべき」との意見に真っ向から対立する。

 日本の「農村文化」は損得関係をベースとした打算的なもので、耐乏の精神は「より高い精神の渇望」も「自我の内省と他者の発見」ももたらさない。そういう土壌では真の文化は育たない。ボタンを押してエレベーターで昇るのは怠惰で自分の足で階段を昇るべきという世界では文明の進歩も起こらない。

 また「天皇制」も為政者にとって都合の良い「カラクリ」であったという。藤原氏や将軍家の時代から、戦前戦時中の軍部に至るまで「天皇」を政治利用してきたとする。自分が神になるのではなく「神聖な天皇による号令」として発令し、それに自分が真っ先に服すことで、人々をコントロールしようとしきた。天皇が「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、戦争を終わらせた」というのは大いなる欺瞞で「軍部のギブアップ」を天皇の口から語らせただけだという。

 自分自身の欲望と向かい合うことは「堕落」だが、人は孤独を受け入れ堕落し切ってしまえるほど強くは無い。だから「農村文化」や「天皇制」のような「カラクリ」を使って落ち切らないよう支えている。

 尾崎咢堂が「世界聯合」という提言をしている。人の対立は「部落 対 部落」から「藩 対 藩」「国 対 国」と、認識範囲の広がりとともに大きくなってきている。いつかは世界で一つの「世界聯合の市民」となることで対立はなくせるのでは無いかという内容。これに対して坂口は、人間関係の根底は「個人 対 個人」であって、それは社会的に救済できるものではなく、個人が少しずつ良くなることでしか進まないとしている。

 

【感想・考察】

 こちらも終戦直後の文章。「日本国憲法」が個人を尊重し、天皇の政治への関与を止めた「空気」が読みとれる。最近の改憲論をみると「行き過ぎた個人主義による堕落への反動」として「伝統」や「和」を前面に押し出している。戦争の激動を通り過ぎた世代が「政府による救済などありえない」と主張し、根底にあるのは個人だと主張していたことの意義を改めて考えてみたいと思う。

 

 

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