学問のすすめ
【作者】
福沢 諭吉
【あらすじ・概要】
明治の開国時期に著された、学問に勤めることを勧める本。多くの論点があるが、特に印象に残ったのは以下の点。
・有名な「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という一文にあるように、人間の平等を一番最初に述べている。儒教に裏打ちされ江戸時代まで続く封建制度で確立された身分制度を脱し、独立不覊の人として世の中に貢献すべきとしている。
・同じように国家間も対等であるべきで、国家独立のために尽くすべきとしている。人への忠義ではなく、国家への忠誠を醸成すべきだとの立場。今川義元が討ち取られた時、その兵は散逸したが、ナポレオンが生け捕られてもフランス軍はますます奮発した。人に依存する兵は人への恐れから諛うが、自らが築き上げてきたという自負のある国家に対する忠誠はより強いという分析。
・国は国民を庇護するために国民の合意によって作られたものだ、という国家契約説的な考えを持っている。それゆえ理不尽と思われる法でも、暴力で反旗をひるがえすようなやり方は最低だとする。例えば「忠臣蔵」で主人の敵討ちをしたのは為政者の裁定に対する暴力的な反発であり、無限の復讐を生むだけだという。それならば48人の義士が一人また一人と、最低の理不尽さを命をかけて訴え、最後に裁定を変えることができたなら、「間違った司法制度を進歩させる」結果をもたらし、後世に利益を残す。そちらの方がよっぽど正しい「ヒーロー」だ、としている。
・人にはそれぞれ至誠の心があることを前提に、他人の権利を妨げない限り自由に自分の体を用いる権利があるという立場に立つ。自分の心で人の体を動かしてはいけないし、人の心で自分の体を動かしてはいけない。封建制度下の身分制度では他人に御せられることが美徳であったことへの反発が見える。
・「学問を志すものは、実用を心掛けるべし」ということを繰り返し述べている。本を読み知識を深めるだけでは、何も生まない。例えば演説をしたり、書籍を観光したりして広く知識見聞を広げることが、学者の義務であるとする。
・封建制度など日本の古い伝統への盲信から離れるのは良いことだが、新しいもの、西洋の考え方を新たに盲信するだけでは、依存の対象が変わっただけで本質的な成長ではない。西洋の文化にも良い点悪い点があり、是々非々で判断すべき。独立した精神で本質を捉えようとする心構えがなければ流されるだけだとしている、
・人は高尚でなければならない、とする。自らの生活を問題なく賄うのは当然の前提であって、そこからさらに上を目指すべきだと述べる。原文の引用だが
「謹慎勉強は人類の常なり。これ賞するに足らず、人生の約束は別にまた高きものなかるべからず。広く古今の人物を計え、誰に比較して誰の功業に等しきものなさばこれに満足すべきや。必ず上流の人物に向かわざるべからず。あるいは我に一得あるも彼に二得あるときは、我はその一得に安んずるの理なし。いわんや後進は先進に優るべき約束なれば、古を空しゅうして比較すべき人物なきにおいてをや。今人の職分は大にして重しというべし」
と、常に高きを目指すべきだと強調している。
・怨望の害は甚大だとする。吝嗇や奢侈や誹謗などは、それぞれ良い面悪い面があるが、人を羨み足を引っ張ろうとする怨望は、相手の邪魔をするだけでなく、自分の成長も妨げる。最も悪い感情だとする。こういった怨望が生じるのは「自分の努力ではどうしようもない」部分で、自分より良い思いをしている他人を見るから生まれるのであって、自力で達成できると思えば怨嗟は出てこない。ここでも改めて、自主自決が大切だとする。
・「世話」という言葉は「相手に対する庇護」と「相手に対する指導」の双方の意味を持つ。親が子供を世話するというのはこの両方を備えている。この二つの範囲がずれていると問題を生じる。保護することなしに指示命令だけをする関係も、保護しながら相手の行動に口を出さず完全に放任とするのも、どちらも不健全な関係だという。
・「心事」と「働き」も相当させるべきだとする。志よりも低い行動であれば、人は腐ってしまうし、行動に志が追いつかなければ折れてしまう。
【感想・考察】
福沢諭吉は西洋文化の導入に尽力した人だという認識しかなかったが、極めて冷静な分析の上で取捨選択をしていたことが理解できる。「国」に対する思いが極端に強く、「報国」を最も高尚であると置いているのは、帝国主義前夜の世界雰囲気では仕方ない事なのだとは思うが、今日的な視点で見ると国同士がどうやって相互に理解し、人類全体を前進させるにはどうすれば良いか、という視点に至るべきだと感じる。
易きに流れがちなところ、「高尚であるべき」という論は活力を与えてくれる。
文語体は読むのに時間がかかるが、文章に重みを感じる。同じ内容をラノベ口調で綴っても説得力は半分以下だろう。