毎日一冊! Kennie の読書日記

面白い本をガンガン紹介していきます!!

ブルーマーダー 警部補 姫川玲子

姫川玲子シリーズの6作目です。

 

犯人側の「強いダークヒーロー感」と

姫川が「苦しみ葛藤しながらも

守るべきものを守っていく姿」の対比が

キレイに描かれていました。

 

 

【タイトル】

ブルーマーダー 警部補 姫川玲子

 

【作者】

誉田哲也

 

【あらすじ・概要】

池袋で仮出所した直後の暴力団組長が殺された。

鈍器で全身の骨を折られていたが出血はなかった。

 

池袋署の配属になっていた姫川たちは捜査を進めるが

地元の半グレや外国人マフィアたちが

何かに怯えている様子だった。

 

同じ頃中野署の下井は、地域の暴力団などの

活動が不活性化していることで本部監査官からの聴取を受け、

かつてスパイとして暴力団に潜入させ

数年前から音信不通となった男の所在を探ろうとする。

 

やがて、元暴走族の半グレの男、贓物売買をしていた

中国人マフィアも、暴力団組長と同じように

鈍器で骨を砕かれ殺されているのが発見され

事件は連続殺人の形相を見せる。

 

 

【感想・考察】

 グロさでいうとシリーズ1作目の

「ストロベリーナイト」と同等レベルだったが、

犯人の狂気はまだ理解可能で

ストロベリーナイトのような不気味さはなかった。

犯人が狙った狂気の拡散も

最後には抑えることができた。

 

また「インビジブルレイン」以降、

弱さの目立つ玲子だったが

これもストロベリーナイトの時とは違い、

犯罪に至る弱さを十分理解しながら

守るべき人を守りきっていた。

 

警察組織への信頼と愛着を持ちながらも

犯罪に向かってしまう弱さよりも

 小狡く力を行使する存在を憎む玲子が

今後どのように動いていくのか

先が楽しみなシリーズだ。

 

 

グリーン家殺人事件

古典ミステリとして有名なので読んでみました。

 

正直、話が長すぎるのと翻訳の古さで

どうにも読みにくかったです。。

 

ただ、100年近く前の作品であることを思うと

当時としては斬新だったのだろうし

今のミステリに与えている影響も大きいのでしょう。

 

 

【タイトル】

グリーン家殺人事件

 

【作者】

ヴァン・ダイン

 

【あらすじ・概要】

ニューヨークのグリーン邸には

先代トバイアス・グリーンの未亡人と

ジュリア、シーベラ、エイダの3人の娘と

チェスター、レックスの2人の息子が住んでいた。

 

ある雪の夜、ジュリアとエイダが銃撃され

ジュリアは死亡し、エイダは一命をとりとめた。

 

行きに足跡があったことから、

警察は外部から侵入した強盗の犯行だと判断したが

納得のいかない長男のチェスターは

地方検事のマーカムのところに直談判に行く。

マーカムと親交のある素人探偵のヴァンスも

この事件の調査に乗り出すことになった。

 

ヴァンスたちはグリーン邸を訪れ

家族やかかりつけ医のフォン・ブロン、

料理人のマンハイム、女中のヘミング、

バートンたちから話を聞き、

互いにいがみ合う異様な家族の実態を知る。

また、チェスターの銃の紛失や

殺害時に明かりがついていたことなど

強盗による犯行としては不可解な点が多いことに気づく。

 

何日か後、末妹のエイダが兄のレックスについて

伝えたいことがあると言い、マーカムの事務所に訪れる。

エイダが事務所から電話をかけレックスと話をした直後に

レックスが銃撃され亡くなったとの連絡を受ける。

ヴァンスたちはグリーン邸に急行し状況を確認する。

 

またその日、グリーン邸にいたフォン・ブロン医師のカバンから

致死量の薬品が盗まれていたことが判明したため、

警戒した警察は看護師に扮した女性刑事を配し

盗まれた薬品に対処できる医師を近くに待機させていた。

 

ところが刑事の隙をついて、

エイダの食事にモルヒネが混入される。

エイダは待機していた医師の救急対応で一命をとりとめたが

その夜、グリーン夫人にも致死量の薬品が盛られ

翌朝死んでいるのが発見された。

 

先代トバイアス・グリーンの遺言に従い

古びたグリーン邸に縛り付けられている家族たちの背景を

ヴァンスは読み解いていく。

 

 

【感想・考察】

長すぎ、翻訳が古すぎて、とにかく読みにくかった。

もう少しコンパクトにして、現代的な翻訳にすれば

今読んでも面白いものになるのかもしれないので残念だ。

 

先日読んだシェイクスピアの「ヴェニスの商人」は

描写がすっきりしていたのと何より翻訳の素晴らしさで、

数百年前の作品と思えないほど楽しく読めた。

やはり翻訳の影響は大きいと感じる。

 

ミステリの展開にも古さを感じてしまい

「この人が犯人に決まってるよなぁ」というのが

すぐに見えてしまった。

だが逆にいうと、ヴァン・ダインのフォーマットが

その後100年のミステリに強い影響を与えている分、

展開が「当たり前」にみえてしまうのかもしれない。

 

Kindle Unlimited に入っていたので

このバージョンを読んでみたが

ケチらず、もう少し新しい翻訳で

この作者の作品を読んでみることにしよう。

 

 

実存と構造

実存主義、構造主義の本だと思って読んだのですが

どちらかというと 文学評論 寄りの内容でした。

 

20世紀半ば以降の文学に実存主義と構造主義は

どのように組み込まれてきたかを解説しています。

 

カフカ、カミュ、やサルトルなどの「実存」に迫る作品や

神話などに「構造」を見出したレヴィ・ストロース、

「構造」を文学に組み込んだガルシア・マルケスや

日本での大江健三郎、中上健次などの作品を紹介しています。

 

 

【タイトル】

実存と構造

 

【作者】

三田誠広

 

【あらすじ・概要】

 

近世以前の欧州では「神の思し召し」により

住む場所も、職業も、結婚も 固定され自由はなかったが

その分、思い悩むことはなかった。

当時の文学は荒唐無稽でロマンチックなものだった。

 

19世紀の商工業発達により都市が発展し

人々が自由に生きるようになると

写実主義、自然主義による近代小説が生まれた。

 

20世紀にはいると「実存の文学」が書かれるようになる。

 

カフカ「変身」

帰属するものがなく孤独に生きる主人公が

ある日虫になってしまう。

家族にも職場の人にも「虫けら」扱いされ

家族に迷惑をかけながら、最後はひっそり死んでいく。

 

カフカはドイツ生まれのユダヤ人を両親に持ち

チェコで育った。

ドイツにもチェコにも帰属意識を持てない

カフカは孤立感を持っていきていた。

どこにも帰属しない「虫けら」のような生き方を描いた。

単独者として世界と生身で対峙するのは

「実存主義」的な生き方だと言える。

 

近代以降、神による抑圧が薄れた社会で

カントやヘーゲルは「人倫」という考えを持ち出した。

その頃には「国家」という観念が生まれ

神による抑圧の代わりに国家による抑圧が人民を助けたが

二つの世界大戦を通し、

「個人が国家を愛してしまうと、ファシズムにつながる」

ことが分かり、国家への失望が広がった。

 

カミュ「異邦人」

「今日、ママンが死んだ。昨日だったかもしれない」

という主人公は、親に対する感情が非常に薄い。

知り合いのヤクザとアラブ人が口論するのを聞いていた

主人公は「太陽がまぶしかったから」

アラブ人を撃ち殺してしまった。

 

この主人公も、社会規範や共同体に帰属せず

孤立した実存として世界と向き合っている。

個人としてじかに世界に向き合う様子は

周囲から見れば「不条理」だ。

 

サルトル「嘔吐」

見慣れた風景など、外界のすべてに違和感を感じる。

抽象的な意味を剥がされたマロニエの根を見て、

その直接的なグロテスクさに嘔吐してしまう。

 

自我をとことん突き詰め、世界と直接に対峙する

ことは「吐き気」を催すような気分の悪さだとみる。

 

レヴィ・ストロース

社会学者のレヴィ・ストロースは、

社会における「家族」につい手の取り決めや

神話などに「構造」を発見した。

 

多くの社会で「平行いとこ婚」は避けられ

「交差いとこ婚」は推奨されるのは

社会を維持するための構造だとし、

世界中の神話で同じようなモチーフが

用いられるのも構造だとした。

(平行いとこは父方男兄弟、母方女姉妹のいとこ、

交差いとこは父方女兄弟、母方男兄弟のいとこ。

遺伝子的な距離は同じだが、家同士の

メンバー交換という面では意味合いが異なる)

 

ガルシア・マルケス「百年の孤独」

ある村の100年間の年代記が記された

古文書を読み解いていくという「枠物語」。

最後に古文書を読み解いている人物が

その物語の末裔であることが明かされ

封じ込めた神話的世界が「枠物語」の

枠に浸食していく。

(「枠物語」は「千夜一夜物語」など

語り手が外の話をするタイプの物語)

 

戦前の日本文学は私小説とプロレタリア文学の

二つの潮流に分かれていた。

私小説は、自分の日常生活から人間存在の

テーマを捕らえ語り、

プロレタリア文学は、貧しく虐げられた

労働者の暮らしをリアルに描き

社会改革の必要性を訴えた。

 

戦後、貧しさが広がり、

私小説がそのまま社会改革を訴える社会小説に

なるという状況がしばらく続いたことで

文学全般が実存主義的な要素を抱えることとなった。 

 

大江健三郎「万延元年のフットボール」

アメリカ帰りの弟がフットボールを通して

若者を集め、反体制運動をしていた。

兄である主人公は行動できない自分を情けなく思う。

 

兄弟が住む村には、万延元年の一揆の伝説が伝わっており

一揆を指導した庄屋の弟は英雄として語り継がれていた。

ところが古文書を調べていた兄は、

英雄とされている指導者が、実は闘争から途中で

逃げ出した卑怯者だったことを知る。

 

万延元年の古文書と出会うことで主人公の立ち位置が

相対化され、物語が構造化されたと言える。

 

世界と対峙する「実存」の重さは人を袋小路に追い込むが

自分の問題を神話的な構造に埋め込んでしまえば

その苦しみは繰り返されてきた物語で

「自分は英雄でもなければ、特別に悲惨な人間でもない」と

相対化することができる。

 

中上健次

中上健次本人も複雑な家庭環境に生まれ、

異父兄弟からの妬みや実父への恨み、

自殺した長兄への申し訳なさなどを抱え

思い悩んでいた。

 

「岬」「枯木灘」と続くシリーズで

父に捨てられた子供であった主人公は

やがて子供を捨てた父となり

神話的構造の連鎖の中に埋め込まれていく。

 

 

【感想・考察】

主旨をざっくりまとめてしまうと

「自我を突き詰め、世界と直に向き合う実存は

重く苦しく吐き気を催すようなものだ。

実存は個人のものだが

パターン化し、構造の中に組み込めば

苦しいのは自分だけではない、という

癒しを得ることができる」

ということになるのだろうか。

 

一方で構造の中に組み込まれた自我が

生々しさを維持するためにも「実存」的な

視点を持つことも必要なのだろう。

 

普段「実存」「構造」を意識することは無くても、

ごく個人的なエピソードに入り込んで共感したり

人の話から自分の思いを相対化したりするのは

普通にあることだが、

本を読むときや人の話を聞くときに

意識してみると面白いのかもしれない。

 

 

最後の夏-ここに君がいたこと-

村上春樹さんの「風の歌を聴け」で

「セックスと人の死が出てこないのが優れた小説の条件」

とあった記憶があります。

実際には禁じ手にしたいほど、

人の心を揺さぶる題材だということなのでしょう。

 

そういう意味では定番ですが

男女の愛と男同士の友情が切なく描かれていて

「大切な人を大切しなきゃ」と思わされる話でした。

 

 

【タイトル】

最後の夏-ここに君がいたこと-

 

【作者】

夏原雪

 

【あらすじ・概要】

 志津、悠太、陸の3人は、何もない小さな町で

幼いころから一緒に過ごしてきた幼なじみだった。

 

悠太と陸は小学校の頃からサッカーを始めたが

特に悠太は急激に上達した。

県大会で才能を見せた悠太は、

U-20監督のスカウトを受けイギリスへの留学を決め

地元のクラブチームに所属することとなる。

 

悠太が離れてしまうことを受け入れらない志津も

才能の差に嫉妬していた陸も

悠太の旅立ちを素直に祝福できなかったが

出発の直前、悠太の寂しさを理解した志津たちは

ミサンガを作り贈った。

 

志津と陸が補習をしていた高校3年生の夏、

「近々帰る」という悠太からの手紙が届く。

やがて悠太が志津と陸の前に姿を現し

3人は久々の再会を喜び合った。

その夜、悠太は「裏山」に行きたいと言い

そこで大量の蛍が光っているのを3人で眺めた。

 

志津は悠太の言動に徐々に違和感を感じていく。

 

 

【感想・考察】

死期が迫っている人との物語や、

死者が「期間限定」で会いに来る話は

定番だが心を揺さぶる。

 

愛することはある意味「執着」で

「失ってしまう」と思うから

大切だと感じるのかもしれない。

 

行くのが嫌だった学校でも

卒業を迎えると名残惜しいし

ボロくて買い換えたいと思っていた車でも

いざ廃車にする時には愛着を感じたり

手放す寂しさと執着はとても近く

愛することとも大分重なっている。

 

執着を手放すことで楽になるのかもしれないけれど

その苦しさが、生きることに色を与えるのだろう。

執着を捨てて達観して生きるのは、まだ自分には無理だ。

 

毒入りチョコレート事件

「真実はいつも一つじゃない!」

ミステリの結末なんて、いくらでも恣意的に

コントロールできるよね

という少々自虐的なミステリです。 

 

ミステリを論理パズルとみてはいないので、

作者の仕掛けた罠にはめられたり

キレイな伏線回収があったりして

楽しく読めれば十分だと思うのですが

こういうメタ的な視点もまた面白いと思います。

 

【タイトル】

毒入りチョコレート事件

 

【作者】

アンソニー・バークレー

 

【あらすじ・概要】

 ロジャー・シェリンガムが主催する

「犯罪研究サークル」のメンバーが

「毒入りチョコレート事件」について

それぞれ自分の解釈を述べていく。

 

「毒入りチョコレート事件」の概略は以下の通り。

ユースタス男爵が、試供品として届けられたチョコを

グラハム氏に渡し、グラハム氏は妻と一緒に

そのチョコを食べた。

チョコには毒が仕込まれており、

グラハム氏は一命をとりとめたが妻はなくなってしまった。

 

警察はユースタス男爵に毒入りのチョコを送った犯人を

探していたが、捜査が暗礁に乗り上げたため

「犯罪研究サークル」の助力を得ようとした。

 

6人のメンバーはそれぞれ違う解釈を提示する。

・弁護士のチャールズは

 「誰が利益を得るか」をキーに考え、

 ユースタス男爵チョコを食べ死んだ場合に

 利益を得る男爵夫人が怪しいと考えた。

 

・劇作家のフィールダ夫人は

 「隠れた三角関係」がカギだと考え

 自分の娘と素行の悪いユースタス男爵との

 結婚を阻止しようとしたチャールズ弁護士が犯人だと考えた。

 

・推理作家のブラドリは

 小説家としての実験として考え、

 毒薬の入手やアリバイなど全ての条件を

 満たしている人間として自分自身が犯人だとした。

 

・サークルの主催者ロジャーは

 グラハム夫人の公正な性格から違和感を覚え

 グラハム氏が夫人を殺そうとした事件だと考えた。

 

・小説家のダマーズ嬢は

 グラハム夫人とユースタス男爵に関係があったと見抜き

 ユースタス男爵がグラハム夫人を殺した事件だと考えた。

 

・最後にチタウィク氏は

 グラハム夫人とユースタス男爵の不倫関係から

 また別の事件の構図を提示した。

 

 

【感想・考察】

ひとつの事件に、6人がそれぞれ違う解釈を述べる。

 

そのどれもが「名探偵の解決編」という感じで

読んだ直後はそれこそが間違いない真実だと思わされる。

ところが次の人がその解釈の間違いを指摘すると

明らかに間違っていると感じられる。

 

ミステリの世界で手掛かりの提示など

いくらでも恣意的にコントロールできる。

「これが結論!」という方向性に添って

提示されたヒントを解釈していけばそれらしく見える。

 

小五郎のダメダメ推理を

コナンが「論理的」な推理で覆すのは様式美だが

コナンの「論理的」な推理を、

金田一が「別の論理的」な推理で覆したとすると

何となくモヤモヤ感が残るだろう。

結局は恣意的に操作できることの気持ち悪さだ。

(小五郎のダメ推理はわざとだが)

 

別にミステリに限った話ではなく

「これが結論!」という前提で世界を見るならば

それにそった解釈しか出てこない、

ということもあるのあろう。

 

「それ以外にない」と思っているときこそ

「別の結論でも矛盾は生じないのではないか」

という冷静な見方もできるようになりたい。

 

 

愚者のエンドロール 「古典部」シリーズ

「ひとの亡くなるお話は、嫌いなんです」と

本書のラストで 千反田える が語っています。

米澤穂信さんの作品には、

割と不気味な話が多いと思っていたのですが

「人の死なない日常系ミステリ」も上手いですね。

 

「ミステリを書いた人の考えを推理するミステリ」

というメタ的な展開で、

ミステリ好きには間違いなく楽しめる話です。

 

 

【タイトル】

愚者のエンドロール 「古典部」シリーズ

 

【作者】

米澤穂信

 

【あらすじ・概要】

夏休み、「古典部」の部員たちは文化祭の準備で

学校に集まっていた。

 

2年生のあるクラスで文化祭に向けての

映画を撮影していたが、

脚本家が病気で続きが書けず、

途中で止まってしまっていた。

 

古典部のメンバーは

途中まで撮影された映画を見せられ

「クラスのメンバーが予測した筋書きのうち、

どれが正しいか」について意見を求められる。

 

病気で倒れた脚本家は、

「廃坑となった街の劇場で行われた密室殺人」に

どのような結末を用意していたのだろうか。

 

 

【感想・考察】

「ミステリ作者の意図を推理する」

というのは面白い。

 

ミステリ好きに向けた小ネタを仕込みながら

(中村青* は館シリーズだな、、とか)

ミステリの「お約束」を踏みにじっていくのが清々しい。

密室トリックで「いいじゃん、鍵くらい」は爽快だ。

「ドラマとして盛り上がれば、細かいことはいい」

というのもある意味本質的だと思う。

 

作中にも出てくる「ノックスの十戒」や

「ヴァンダインの二十則」とか約束があって

様式美というものできているが、

敢えてそこを裏切って斬新さを生む作品もある。

ミステリ好きは常に「新しい驚き」を求めるから

固定観念ができれば、そこを突いてくるのが定石になる。

 

「ワトソン役は全てをオープンにする」という

決まり事を逆手にとって「叙述トリック」が生まれたり、

「未発見の科学的成果を使ってはいけない」という

決まり事に逆らって「アポトキシン4869」が生まれたりして

ミステリの幅は広がっている。

 

最近では ミステリに恋愛、超能力を絡めるのは、全然アリで

人が死なない話も普通にある。

幅の広いライトな作品が読者層を広げているのだと思う。

 

新しい驚きのあるミステリをたくさん読みたい。 

 

 

 参考:

「ノックスの十戒」

・犯人は物語の最初の方から出てないとダメ

・超能力とか使うのはダメ

・秘密の抜け穴はダメ

・未発見の科学を使うのはダメ

・中国人を登場させてはダメ

・探偵はカンで解決しちゃダメ

・探偵本人が犯人ではダメ

・読者に提示していない手掛かりで解決してはいけない

・ワトソン役の考えは読者に全てオープンじゃなきゃダメ

・双子、一人二役は最初っから提示しなきゃダメ

 

「ヴァン・ダインの二十則」

・手掛かりは全て明白に記述しなきゃダメ

・作者が読者を騙す記述はダメ

・余計なラブロマンスは不要

・探偵、捜査員が犯人はダメ

・ 論理的に犯人が決まらないとダメ

・探偵役がいなきゃダメ

・死体がなきゃ興味がわかない

・占いとはダメ

・探偵役は一人

・最後の方に出てきた人が犯人じゃつまらない

・端役が犯人じゃつまらない

・原則単独犯で

・探偵の解決前に手掛かりはすべて出さなきゃダメ

・余計な情景描写は不要

・プロの犯罪者が犯人だとつまらない

・「自殺でした」は安直

・犯罪の同期は個人的なものの方がいい

・ありふれたトリックは陳腐

 

 

 

 

感染遊戯 警部補 姫川玲子

 「姫川玲子シリーズ」ですが

玲子はほとんど出てきません。

 

玲子と相性の悪い 勝俣、

シンメトリーの短編で登場した元刑事の倉田、

玲子チーム解散の後、他部署で働く葉山、

前作までに出てきた脇役刑事たちがメインになります。

 

独立した短編集かと思いきや

全編に通じる悪意が最後に見えてくる展開で

引き込まれる面白さでした。

 

 

【タイトル】

感染遊戯 警部補 姫川玲子

 

【作者】

誉田哲也

 

【あらすじ・概要】

シリーズ前作までに出てきた3人の脇役刑事が主役となる。

前半の3篇ではそれぞれの刑事が個別に捜査するが

最後の推定有罪で全てが繋がってくる。

 

感染遊戯/インフェクションゲーム

ガラの悪い公安上がり刑事の勝俣が主役。

 

世田谷区で起きた会社役員刺殺事件の被害者は

15年前に勝俣が捜査した殺人事件被害者の親だった。

 

非加熱製剤による薬害で免疫不全症候群となり

周囲からの非難を苦に自殺した女性の父親が

厚生省の責任者であった男を恨み殺人を企てたが

人違いで男の息子を殺してしまった。

 

その事件の犯人は獄中で既に亡くなっていて

今回の事件の犯人ではありえなかった。

 

 

連鎖誘導/チェイントラップ

シンメトリー」の短編に登場した倉田刑事が主役。

8年前に、倉田の息子が交際相手の女性を殺した。

その報を受けてから辞職するまでの間に捜査した事件の話。

 

麻布で連続殺傷事件が起こり

旅行代理店に勤める女性一人が死亡、

外務省に努める男も刺され重傷を負った。

 

外務省の男は殺された女生徒は無関係だと主張したが

捜査の結果、被害者二人の関係が浮かび上がってくる。

 

 

沈黙怨嗟/サイレントマーダー

インビジブルレイン」で解散した姫川チームに

属していた葉山刑事が主役。

 

葉山は「将棋の対戦中に殴られた」男の訴えを受け

調査に向かう。

殴られた男のケガは軽微だったが、

殴った側が「お前に殺された!」と言っていたという

証言が気になり、葉山は独自に調査を続ける。

 

殴った男の妻は数年前に持病で亡くなっていた。

男の勤め先の事情で給与が払われず

年金支給もうけられなかった数か月の間、

妻が「節約」のため薬を飲んでいなかったことが原因だった。

 

 

推定有罪/プロバブリィギルティ

冒頭の「世田谷区会社役員刺殺事件」の捜査に戻る。

 

この事件の捜査をしていた勝俣は

元郵政省事務次官の殺人未遂事件、

元農林水産省事務次官の殺人事件の容疑者の話を聞き

「元官僚」に対する悪意が同時多発的に

噴出していることに気づく。

 

勝俣は葉山と、警備員として働く倉田と共に

調査を進め、やがて事件の繋がりを見付ける。

 

 

【感想・考察】

 官僚の保身のために起きた「薬害事件」「年金不祥事」や、

「天下り」など、官僚に対する怒りを題材にしている。

 

選挙で審判される政治家と異なり

官僚は自らの活動が公に晒されることが少ないため

組織内の減点主義に引っ張られ、

「自分に火の粉が掛からないことを最優先とし、

本来守るべき公益 を軽視する」こともあるのかもしれない。

 

専門性の高い業務を行う官僚に対しては

選挙のような不安定な制度は適さないし、

オープンにすることが難しい業務も多いとは思う。

 

それでも「内向きの閉鎖性」は腐敗を生むし

世の中に「上級国民」への僻みが感染してしまう。

 

「意識が外に向かうような仕組」が必要だと思うし

「一見オープンっぽいパフォーマンス」も必要なのだろう。

 

 

 

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