毎日一冊! Kennie の読書日記

面白い本をガンガン紹介していきます!!

悪魔が教える 願いが叶う毒と薬

【作者】

 薬理狂室

 

【あらすじ・概要】

 薬や毒の特性や使い方について説明する本。

 タイトルが毒々しいし、第一講が「目覚ましクスリ」として「メタンフェタミン」や「アンフェタミン」から入るなど、アングラな匂い満載だが、実際は「処方薬の種類や有効な使い方」、「薬局で買える薬の選び方」など実用的な内容。

 個別の薬の薬理作用などは必要な時に見て参考にする程度だろう。いくつか印象に残った内容は以下。

 

・薬局での市販薬よりは処方薬の方が最新の技術が使われているし、症状に合うものが多い。保険がきけば価格も安いので処方薬を使うべき。

 

・覚せい剤など「幸福感」をもたらす麻薬は、「幸福の最高値」を更新させてしまうことで今までと同じことでは幸福感を得られないため、習慣性が生まれよう量も増えていく。

 

・麻薬の危険性は粗悪な精製や不衛生な流通で不純物が混ざることも大きい。

 

・合成甘味料や食品保存料などについて、安全性が十分に確認されているものに対して過剰な拒否反応をするのは科学的な態度ではない。どのような物でも量が過剰になれば毒性がある。水でも塩でも人を殺せる。食品添加物に毒性があるといわれるが、どれだけの量を取ればその物質は害をもたらすのかを評価しているのであり、そこをはるかに下回る安全値を取っている。

 

・カプリン酸とカプリル酸を一対一で配合した母液を10ml用意し、ミルク香料数滴とバニラエッセンス1滴を加える。さらに安息香酸エスオラジオールを1~3ml を添加すると女子高生っぽい匂いが再現できる。

 

【感想・考察】

 ヤバそうな雰囲気があるが、実用的で役に立つ薬の本。真っ当な医者か薬剤師が書いたものなのだと思われる。おまけ程度に、「悪夢を見るにはミノキシジル」とか「下痢の誘発にはひまし油10%添加のチョコレート」などの情報もあるが、まじめに試す人はいないだろう。多分。

 

雷鳴館の殺人

【作者】

 八槻翔

 

【あらすじ・概要】

 古い洋館「来明館」売却の内覧会に脅迫状が届いた。ミステリ作家の友人から依頼を受けた名探偵「志場みなみ」は元刑事の木場を助手として連れ洋館に赴く。

 雷鳴が轟く嵐となり外界と完全に遮断された深夜、木場の頭部だけが残されるという凄惨な第一の事件が起こり、連続殺人の幕が開ける。警察が来れない夜間に第二の殺人が起こり、翌朝に警察がたどり着き安心したところで第三の殺人も発生してしまう。

 全ての判断材料が揃ったところで、Who Done It、How Done It の「読者への挑戦」が設けらる。

 

【感想・考察】

 人間ドラマや社会的なメッセージなどを排し、純粋な「パズル」として謎解きに特化したストーリーだった。長さも適度で「読者への挑戦」を見てから、読み返して伏線を探そうという気になるし、仕掛けに気づくいたときの気持ち良さがある。ベテラン作家による重厚なミステリも面白いが、こういう作品も大好きだ。

 メインのトリックは割とすぐに読めたが、伏線の隠し方やルール違反にならないミスリードの組み込み方等、ミステリの作法をきっちり守った作品で安心して対峙できる。

 前作はRPGの職業別の制約を使ったミステリで視点は斬新だったが、これも正統派のミステリとして成り立っていた。

天空城殺人事件:〜もしRPGの世界で殺人事件が起こったら。〜 - Kennie の読書録

 電子書籍で本を出すコストが下がり、様々な挑戦で従来なかったような作品が読めるのは嬉しい。こういう作家がもっと発掘されるべきだと思う。

 

最後は臼が笑う

【作者】

 森絵都

 

【あらすじ・概要】

 ダメ男、クズ男にばかり惹かれてしまう桜子。「どんなに悪い男にも柔らかいところがある、それが愛おしい」、「善なるものは遠くから見ても近づいても変わらないが、悪は距離や角度によって様々な表情を見せる」とダメ男の魅力を語る。

 そんな桜子が「一片も好きになれない純粋な悪を見つけた」と言う。電車で年寄りではないが若くはない女性に席を譲り、相手の困惑を見て楽しむ男。自分の欲望を追うのではなく弱さを隠すのでもなく、相手を不快にさせることを純粋に楽しむ気味の悪さ。

 「クズ」を愛する女と「純粋悪」男の対決が始まる。

 

【感想・考察】

 善なるものもよく見ればデコボコだろう。ダメ男が好きな女性は「ダメ」な部分への感受性が強いということだろうか。世の中には色々な男女がいて、それぞれが違う目で世界を見ているということなのだろう。モヤモヤした気持ち悪さがあるが、最後は「臼」と称されたおばさんのパワーで振り切ってしまうのが爽快だ。

 電車で席を譲るのがちょっと怖くなる本。

 

 

お金2.0 新しい経済のルールと生き方

【作者】

 佐藤航陽

 

【あらすじ・概要】

 技術の進歩が経済をどの様に変えていくかを著者独自の観点から説く。

 

・貨幣は国家が中央管理するものという考えが一般化しているが、それほど歴史の長いものではない。分散化して様々なレイヤーの経済が並立することもありえる。

 

・情報の非対称性からハブとなる存在に情報が集中し力が集中していた。金融であれば銀行や大口の投資家など、物流であれば商社など。ネットによる情報の分散化によりハブの存在価値が弱まっていくと考えられる。UBERや AirBnBなどのシェアエコノミーや、仮想通貨などのトークンエコノミーが分散化の流れを加速していく。

 

・経済の活力を支えるのは、「適切なインセンティブ、リアルタイム性、不確実性、ヒエラルキー、コミュニケーション」の5項目が大事だとする。資本主義はこれらを兼ね備えた優れた仕組みだが、富の偏在が進み「錆びついて」いる。ヒエラルキーの固定、不確実性の減少、インセンティブの減少から活力を落としつつある。対抗するイデオロギーであった「社会主義」はこれらの要件を全く満たしていないため、活力を維持できなかった。

 

・会社の財務状況を評価する指標は産業革命以降の「ものづくり」をベースにしたものとなっているが、情報や影響力などの価値は表現しきれていない。従来の価値基準では Facebook が Instagram を数百億円で購入することは理解できなかった。

 

・古くは王や高位の聖職者など特権階級に独占されていた「知識」は活版印刷の普及により大衆化し、Google によって完全にコモディティー化された。AIの普及で生産のための労働の必要性が減り、ベーシックインカムなどが支給されることになれば「お金」についてもコモディティー化が進む可能性がある。

 

・資本が力を持つ「資本主義」から、価値が重視される「価値主義」に移行していく。

 

・価値には、資本主義で重視された「有用性の価値」、資本主義では直接評価できなかった、共感や熱狂などの「内面的価値」、資本主義ではコストとしてしか認識されなかった「社会的価値」の3種類がある。

 

・この3つの価値を高めることが資本よりも重要となるのが「価値主義」。それぞれの「価値」に対し、分散的な「通貨」で対価が支払われる世界。

 

・「価値」が重視され、自律分散した経済が回り始めることで、政治や宗教と経済との境界も融合していく。

 

 

【感想・考察】

 斬新な観念を、容易で分かりやすい文章で説明している。中央集権的な貨幣制度や資本主義的な交換価値重視の価値観は強固で、数世代のうちに移行が進むのか分からないが、各自の持つ「価値」が重要になる未来は楽しそうだ、

 「人間は生まれた時からあるものは自然なものとして受け入れ、15歳から35歳くらいまでに触れたものはエキサイティングな新技術だと感じ、それ以降に初めて触れたものは自然に反する不快なものと感じる」という引用があった。その通りと思うが、自分自身は柔軟性を失いたくない。少しでも多く学び、自分の「常識」の枠を広げ、新しい変化を受け入れられる人物でありたい。

 色々な読み方ができるが、とにかく一読すべき。勧めたい本。

 

ジヴェルニーの食卓

【作者】

 原田マハ

 

【あらすじ・概要】

 マティス、ドガ、セザンヌ、モネといった印象派を中心とした画家たちについて、彼らと触れ合った人たちの目線で綴った4つの短編。事実を下敷きにしたフィクション。

 

・美しい墓

 アンリ・マティスの話。

 一時期、マティスの女中として仕えたマリアがインタビューに応える形で、彼の創作への熱意と類稀なる才能を語る。マティスはピカソとも親交が深く、お互いに深い敬意を抱いていた。最晩年の作品であるヴァンスの礼拝堂は、彼自身の墓のつもりで光溢れる設計を施したのだろうとマリアは語っている。

f:id:kenbuchi:20180211174533p:plain ヴァンス礼拝堂

 

 

 

・エトワール

 エドガー・ドガとメアリー・カサットの話。

 当時の官立サロンによる品評制度からはみ出したドガとメアリー。ドガは一瞬の動きを封じ込めるため年端もいかない踊り子を冷徹に観察し立体像を作るなど、偏執的なまでのこだわりを見せることにメアリーは嫌悪感を持ち、当時のバレリーナは金持ちの愛人候補であったことを聞き義憤を覚える。メアリーはドガのモデルとなった少女と話したが、ドガはモデルとなった彼女に絵によって名が売れることを望んでいると伝え、興行主には彼女におかしなパトロンがつかない様依頼していたことを知る。ドガはメアリーに「自分たち画家もパトロンを探し媚びなければならないという意味では彼女と同じ。彼女には運命に打ち勝ってエトワール(星)になって欲しい」と語る。

f:id:kenbuchi:20180211174908p:plain 14歳のダンサー

 

 

 

・タンギー爺さん

 ポール・セザンヌの話。

 若い画家たちに画材を提供する画材屋で、作品を展示する画廊でもあった「タンギー親父」の娘がセザンヌに送った手紙で構成される話。放浪しているセザンヌに絵の具代を請求する手紙から始まり、タンギーが「売れない若手画家」(セザンヌ、ゴーギャン、ベルナール、ゴッホたち!)に惚れ込み、採算度外視で画材具店を運営している様子が語られる。タンギーが亡くなった時も手元に残った絵は大した値段で売れなかったが、彼の支えた画家たちは後に大きく羽ばたいていった。

f:id:kenbuchi:20180211175440p:plain タンギー爺さん

 

 

 

・ジヴェルニーの食卓

 クロード・モネの話。

 モネの再婚相手アリスの娘であるブランシュがモネとの生涯を回想する。アリスとブランシュはモネのパトロンであった父に捨てられ、モネたちとの暮らしを始める。偉大な芸術家と過ごす日々はブランシュにとってこの上ない喜びであった。ある日実父から戻ってくるように命じられ、売れ始めたモネの名声を傷つけることを恐れたアリスとブランシュたちはモネから離れようとするが、モネもブランシュたちと暮らすことがかけがえのない幸せだと言い、ジヴェルニーの邸宅で一緒に食卓を囲み暮らし続けた。

 モネは最晩年に白内障を患い、手術をするも創作意欲を失っていたが、ブランシュは最後まで支えとなり続ける。

f:id:kenbuchi:20180211180750p:plain 睡蓮

 

【感想・考察】

 絵画には詳しくないが、この作品を読んでいくと画家やその絵に興味をそそられる。原田マハは丁寧で優しい文章で人の感情を動かすが、絵画については特に強い熱量を感じる。身近にある美術館に足を運んでみよう。

 

邪馬台国はどこですか?

【作者】

 鯨統一郎

 

【あらすじ・概要】

 歴史上の出来事に対し、ミステリを解く様に独自の視点で解釈してゆく小説。

全6編で構成。バーに集う三人の客と語り手であるバーテンダーが歴史議論をする形で独自の論を展開していく。

 

・悟りを開いたのはいつですか?

 ブッタは実は悟りに至ってはいないのではないか、とする説。

 

  「ブッダが悟りを開いた」後にも瞑想を行い、迷う姿が描かれている。ブッダ自体は悟りに至ってはいないのではないか、と言う仮説を様々な文書から推定する。

 ブッタが出家したのは、子供が妻の浮気によるものであったこと、実は王族の家系ではなく、商人の子供であったことなども文献の分析から推察している。

 

 

・邪馬台国はどこですか?

 邪馬台国の所在地は九州か畿内という説が有力だが「岩手」だとの新説をあげる。

 

根拠として「魏志倭人伝」を分析し、下記の様な見方をしている。

 ①記述者が直接訪れた範囲までは方向も距離も正しい。

 ②記述者が伝聞して得た情報では、南北は逆転している。後の世代でも中国に残る日本地図は南北逆転しているものが多いため確度が高い。また距離は「何里」という単位で示された部分は度量衡測定技術の低さから信頼度は低いが、「陸路で何日、海路で何日かかった」という時間表記は信頼性が高い。

 ③九州にあると確定している最初の訪問地区と比べ、投馬や邪馬台国での官職名などは体系が全く異なっており、文化的に乖離している。

 

 これらを踏まえて素直に読んでいくと、邪馬台国の位置は岩手にあると比定することができるとする。岩手のどこかについては音から「八幡平」だとしている。

 

・聖徳太子は誰ですか?

 聖徳太子も蘇我馬子も、推古天皇自身であるとの仮説。

 

聖徳太子の存在は「日本書紀」に書かれたものを根拠としてるが、これは藤原不比等がその時代の天皇家の正当性を補強するために創作したものだという見方がある。

 大化の改新にいたるまで、天皇は主に二つの家系からでていた。蘇我氏系統の現住系の家系と、渡来系の家系が争っていて、蘇我系の家系を滅ぼすために創作されたのが聖徳太子であり、推古天皇は万世一系のフィクションを守るために、天皇家の家系に入れられた、とする。

 

・謀反の動機はなんですか?

 織田信長の本能寺での死は、明智光秀の手を借りた「自殺」であったする説。

 

信長には「強度の抑鬱傾向」、「反社会的人格」、「完璧主義」が見られること、「桶狭間の戦い」も、伝わっている様な奇襲は行われておらず、10倍以上の戦力差で正面からぶつかった「自殺行為」であったこと、合戦でも信長は軽装備で前線にいたことなど、「事故傾倒性(自分の体を大事にしない)」が高かったことなどから、自殺の可能性が高かったことをあげる。

 

 

・維新が起きたのはなぜですか?

 明治維新は勝海舟に仕組まれたものだと言う説。

 

 倒幕の原動力となったのは「尊王攘夷」で、天皇による直接統治と開国の拒絶であった。しかし明治維新後の実際は官僚機構による立憲君主的な運営であり、積極的な海外文化の取り入れだった。

 勝海舟は幕府側の人間だが西欧列強諸国を見て「国家意識」を強く持ち、「徳川幕府の世襲による統治が優秀な人材を潰していること」、「政治体制変更による内戦は、列強の侵略を呼び込むこと」を認識した。

 そこで勝海舟は薩長を利用し幕府を倒しながら、国内の戦争は回避し、その後スムーズに官僚機構の構築と欧米文化の取り入れを行った。

 西郷隆盛のような「戦争好き」にも「催眠術」の様な交渉で、衝突回避している。

 

 

・奇蹟はどのようになされたのですか?

 キリストの復活は、ユダとの「死体交換トリック」によるものだという説。

 

 イエスやユダが属していたユダヤ教のエッセネ派には、指導者の殉死と復活が描かれていたことが、死海文書の解読で判明した。

 イエスは当時ユダヤ教で主流であったパリサイ派から戒律違反で処刑されることが見えていたことから、この機会を利用し、「殉死と復活の奇蹟」を実現させようと計画した。イエスに扮したユダは十字架の上で死に、その後自死したとして死体を入れ替える。「キリストの墓に死体が無かった」のはこの入れ替えによるものだという。

 

【感想・考察】

 歴史上でも特に有名な出来事について、独特な見方を提供している。専門的な見地からどの程度評価されるものなのかは分からないが、歴史への興味の契機となる「エンターテインメント」作品としてとても面白い。

 勝海舟の話でも、催眠術説など荒唐無稽な部分も多いが、大筋として欧米の強みを導入しつつ内戦は回避するという神業を行ったことは間違いない。イエスの死体交換トリックも、「あり得ないこともない」くらいの説得力があった。

 商社の立場しか残らない「歴史」の記録から、その後ろにあるものを読み解いていく面白さは十分感じることができた。

 

 

怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 アルボムッレ・スマナサーラ (

【作者】

 アルボムッレ・スマナサーラ

 

【あらすじ・概要】

 誰もが「怒りたい」と感じ怒っている。だが怒りによって、まずは自分自身を害し、周囲の幸せも奪ってしまう。怒ることは動物以下のふるまいであり、極めて愚かであると断ずる。

 怒りには仏典などに使われているパーリ語ではいくつかの表現がある。

・Versa:いわゆる「怒り」全般

・Upanahi:妬み。長く持続する。

・Makkhi:人を軽視する。

・Palasi:他人と張り合う、他人に負けたくない気持ちをを外に向ける。

・Issuki:嫉妬、他人を認めたくない気持ちを内側に向ける。

・Macchari:物惜しみ、いわゆるケチ。分かち合って楽しむことを惜しむ。

・Dubbaca:反抗的で謙虚さがない。

・Kukkucca:後悔。反省ではなく、過去の失敗を思い返して悩む。

・Byapada:激怒、暴力につながるような強烈な怒り。

 

いずれにせよ「怒り」が世の中の破壊の根本原因だとする。

 

「怒り」の原因は「自分は正しい」というエゴへの執着で、誰しも完璧に離れず「自分は間違いだらけ」と認めることで「怒り」を手放すことができる。

「ののしられた」、「いじめられた」、「打ち負かされた」、「盗まれた」等、自分に対する攻撃に対し怒って反抗しようとするが、怒りでは問題は解決しない。

 

 「怒り」を克服するためには、まず自分の中の「怒り」を客観的に認識すること。怒りを「我慢する」のは根本解決にならない。怒りを認識し、バカバカしさに気づくことで怒りは消える。「自分は偉い」というエゴを捨て、「自分はダメな人間」というエゴも捨てる。自分にできることを怠けずに精いっぱい行い、小さな成功をつなげていく。

 怒る相手に対しては感情で応えるのではなく、相手の「問題」に着目し「智慧」で相手に勝つ。怒った相手の攻撃を「スポンジのように吸い込む」のではなく「水晶玉のようにはじく」ことをイメージする。

 「笑う」ことで自分の怒りも消えるし、相手にも波及する。「楽しいことがあるから笑う」のは間違いで、常に「楽しいこと」を求め執着してしまう。順番としては「笑うから楽しくなる」というのが正しい。

 

【感想・考察】

 「自我への執着を捨てる」ことで苦しみから離れることができる説くのは理解できる。智慧で怒りを克服することに達成感を感じるということも同意できる。

 自分自身、相手に怒りを表すことはまれだが、妬みや嫉妬のような内に向かう「怒り」は強く持っていて、そこから離れることは難しい。そういう感情は全く建設的ではなく、意欲を高めるドライバにもなっていない。

 「自己を高めるために、自己への執着を捨てる」という言葉自体に矛盾を含んではいる気はするが、それが一番強い戦い方なのかもしれない。

 

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